レッテル貼り

 おれはレッテルを作って貼るのが結構好きで、また自分でひそかに上手いんじゃないかと思っている。たとえば、少し前に「お祭りクリエイティブ」という言葉を発明した。よくある「デザインで地域振興を!」という類の話をそう呼ぶことにしたのだ。地場産業をもとに(主に東京の)デザインだのクリエイティブ(何じゃらホイな呼び方である)だのの力を使って製品化して地域振興だ!バンザイ!、というような取組なのだが、持続できている成功例は少ないようである。場合によっては行政からお金を引き出して花火を打ち上げて終わり、というふうになってしまう。プロジェクト・スタート時には地元側は夢を見られるし、デザイナー側もデザインフィーだけでなく人の役に立っているという満足感を得られるのだが、いかんせん製品が継続的に売れなければ続かない。お祭りに終わってしまう。夢を見るだけ見て、デザイナーのふところにいくらかのお金が入って終了、という話が日本全国にどれだけあることか。

 とまあ、そんなような類の話に「お祭りクリエイティブ」というレッテルを貼って、ひとりウヒヒヒヒと意地の悪い笑いを浮かべていたのだが、あるときふと、これは随分といかんことをしているのではないかと思った。

 レッテル貼りは簡単に相手を蹴落とすことのできる方法である。何しろ、呼んでしまえば相手を一方的にやっつけた気分になれるのだから、簡便である。今でも、「売国奴」とか「非国民」などとアナクロなレッテルを貼る人はいるし(冗談のつもりなのかもしれないが)、「ネトウヨ」とか「バカサヨ」などという言い方もある。しかしまあ、同じレッテルを貼れる相手とて実際にはさまざまであって、事情考え方の深さ浅さもいろいろである。レッテルを貼った途端にそういうことを見なくなってしまう。そりゃそうだよねー。レッテルを見て「こやつについてはもう考えなくてよし」とすることが、レッテル貼りのおそらくは最大の目的なんだから。

 レッテル貼りをするやつに「レッテル馬鹿」というレッテルを貼ったらどうなるだろう。自分もその中に含まれるわけですが。