彫り師

 しかしまあ、感心するのは、描いた北斎の観察眼と構想力ももちろんだが、これを版木に彫ったやつがいるということである。


 浮世絵は、確か版木に下絵を貼り付け、それを彫り師が彫っていくのだったと思う。
 この波のカーブ、飛び散る飛沫のひとつひとつを彫った人間がいて(またその版木で一色ずつ刷っていった刷り師もいて)、しかもパソコンで模写しているどこぞの馬鹿(わたしだ)のように、失敗したからといって、「あやや。コマンドzだ!」というわけにもいかんのである。


 北斎先生と組む彫り師ともなれば相当な腕もあったのだろうけど、凄い集中力と根気がいったのではなかろうか。


 模写するというのは、絵を細かに見ていくということでもある。
 描いていて、「ああ、これは確かに彫刻刀で彫った線だな」と実感する部分が何カ所かあった。


 彫刻刀というのは小さな刀だから、刃から背までいくらか幅がある。たぶん、その幅のせいだと思うのだが、カーブを彫ると、時々、クセが出るのだ。


 本物の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を見る機会があったら、右下の波や、左上の波の青い部分をつぶさに見ていただきたい。彫り師の存在が感じられると思う。