日本美術と西洋美術史

 田中英道「日本美術全史〜世界から見た名作の系譜」を読んだ。

 西洋美術史家の著者が古代から近世までの日本美術の名作を紹介するという内容である。しかし、力点は個々の美術品の紹介より、西洋美術史の道具立てで通史的に日本美術を見てみるところに置かれている。日本のいわゆる伝統美術を、アルカイスム、クラシシスム、マニエリスムバロック、ロマンチシズム、ジャポニスムという西洋美術史と同じ流れで切ってみるという冒険的なような刺激的なような無茶なような企画である。
 単行本は1995年に出て、毀誉褒貶あったようだ。「学術文庫版はしがき」に著者はこう書いている。

そのときの書評類を見ると、美術史学界の方からは、冷淡な反応を受け、それ以外の美術愛好者からは、好意的な反応を受けた、と言ってよいようである。ある新聞社の一般の文化賞の選考で最後まで残り、電話の前で通知を待っているようにと言われたが、それは来なかった。その最終選考の際に、日本美術史家がいて反対した、という話を確かな情報として、後で聞いた。

 そうだろうなぁ、と読み進めながら思った。おれは日本美術史に詳しいわけではないが、この本は、まれに読む日本の伝統美術の見方から随分とかけ離れた切り口で書かれている。
 まず、工芸の分野をばっさりと捨てている。工芸品は著者にとっては美術ではないらしい。西洋美術史ではあまりメインの題材ではないからということなのだろうが、おれも含め、日本の伝統美術にある程度慣れている人からすると違和感があると思う。美術と工芸を分ける考え方は、もしかすると極めて西洋的な特殊思考で、また、そのせいで美術の見方、あるいは制作態度を狭めてしまっているんではないか、と素人考えながら、思う。工芸を外すと、仁清と光悦は日本美術史の中で語れなくなるし、宗達だって重要な仕事、取り組み方、作家としての特徴が隠れてしまうだろう。乾山は器から絵付けの部分だけを取り出して語ることになるのだろうか? そもそも絵画、彫刻と工芸をジャンルとして分ける考え方は明治期に西洋の美術教育や美術批評を輸入して以来のことで、たかだか150年足らずの話だろう。それまでの長い間、人々が感じてきたジャンルの印象は明治〜現代のそれとは随分違ったものだったろうと思う(江戸時代以前に職業的に絵を描いていた人々は「絵師」であって「画家」ではない。用語として「絵師」も「塗師」も「彫師」も近い)。
 それにも増して、個人の作家性と様式に特化して批評しているところが、この本の面白さであり、また違和感の源のように思う。個人の作家性というのは元々西洋の考え方の枠組みだったものが、近代に至って他の文物、文化と一緒に世界に広まったものだろう。そうした個人の作家性一辺倒で日本の古代からの美術品を批評するのはさすがに無理があるし、見えなくなってしまうものも多いと思う。例えば、近現代の詩を個人の作家性で語ることは普通に行われていることだけれども、近世以前の和歌は個人の作家性のみでは語れないように。
 まあ、最初のほうに書いたように、西洋美術史の道具立て、分析装置で日本美術史を点検してみた、ということがこの本の眼目である。しかし、もちろん、西洋美術史的考え方だけが美術の切り口ではない。本の副題を「世界から見た名作の系譜」とつけたことが象徴的なように、著者は西洋と世界を同一視しすぎで、西洋的な考え方の限界や範囲に無頓着すぎるように思う。西洋だって、まあ、あえて言えば、世界の中の一地方に過ぎない。それぞれの地域の美術はそれぞれに特殊であり、西洋の美術もまた特殊である。
 何と言うか、著者のスタンスは、クラシック音楽を「正統」として、それを拠り所にその他の音楽を批評する間抜けな傲慢さ(音楽はもっと広くて深いんだよ、ば〜か)に似たところがある。
 しかし、そうした違和感も含めて、美術に興味がある人なら読んでみる価値のある本だと思う。個々の作品の切り方には新鮮なものがあり、「ハハァ、そういう見方ができるのか」とあちこち面白かったし、読んでいて全く退屈しなかった。日本美術に西洋美術史的な光を当ててみることで、西洋美術史の見方の特殊性をおれは逆に感じたし、それがまた面白かった。