いじめについて

 長々とつまらない話を書いてきたのは、いじめについて考えていたからだ。


 子供達のいじめ自体は昔からある。
 時々、衝撃的な事件があると、わっとマスコミで盛り上がる。テレビではあれやこれやと討論番組が放送される。そうして、しばらくすると、くすぶったような状態になる。


 もちろん、あくまでマスコミでくすぶるだけであって、いじめがなくなるわけでもなければ、たぶん、さして減るわけでもないのだろう。


 わたしには、特に妙案はない。
 いじめられている子供達には、あなたのことを思ってくれている人がひとりでもいるのなら、死ぬのはやめておいたほうがいい、時間は必ず過ぎる、くらいしか言えることはない。


 で、傍観者ののんきな感想になってしまうのだが、テレビや新聞でいじめるほうの子供達の心理を見ると、これ、見事なほどに犬の糞のほうの日本の文化だ。


 弱い者をいじめるというのは、特に日本に限ったことではないだろう。
 一方で、目立つやつを集団でやっつける、というパターンもあるようで、これは日本に特徴的なことではないか。「出る杭は打たれる」というやつである。


 あるいは、「本当は自分はやりたくなかったのだけれども」という類の子供の声もいくつか聞いた。
 参加しないと自分がいじめられるかも、という心理もあるらしい。付和雷同とはちょっと違うのだけれども、集団からハジかれることを恐れるがゆえに、何となく集団を形成して、やってしまう、というのが、これまた犬の糞的だと思うのだ。


 結論はない。いささかノーテンキな感想だが、犬の糞のほうの文化がきちんと(?)子供達に伝わっていくことに、不思議を感じるのである。
 無責任な態度でスンマセン。


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「今日の嘘八百」


嘘二百七十一 1990年代後半から2000年代にかけて、日本のマスコミに最も収益をもたらしたのは、北朝鮮である。