犬の糞の文化

「文化」という言葉はいろいろな意味に使われるので、時々、混乱を招くようだ。


 まず、「文明開化」の略としての「文化」と、もう少し精神生活(大仰な言い方だけれども、ま、考えたり、感じたりして生きております、ということ)の関係する「文化」がある。


「文明開化」の略としての「文化」は、(今ではあまり聞かないけれども)「文化住宅」とか「文化鍋」の「文化」だ。
 憲法に「健康で文化的な最低限度の生活」とあるのは、この「文化」だろう。英語なら「civilization」である。


「考えたり、感じたりして生きております」のほうの「文化」は、英語で「culture」。しかし、これがまたふたつの意味があるのでややこしい。


 ひとつめは、人間があれやこれやと活動した成果としての「文化」。
 衣食住、学問、芸術、技芸、宗教などなど。大ざっぱに言えば、NHK教育的なもの。たいていは素晴らしいものとして、拍手とバンザイを持って、遇される。
 文化勲章は、この「文化」だろう。


 もうひとつは、ある集団が共通して持っている、習慣や、考え方・感じ方・行動のパターン、枠組みのこと。


 コムズカしい書き方になって恐縮だ。
 実際には、そう難しい話ではなくて、例えば、日本人はトラブルになりそうなとき、自分が悪くなくてもとりあえず謝ってしまうとか、イタリア人の男は若い娘にとりあえず声をかけるのが礼儀だと思っているとか(本当かね?)、ま、そういうようなこと。これでは勲章はもらえない。


 こっちのほうは、善し悪しいろいろ入り混じってややこしいので、拍手とバンザイを持って遇するわけにはいかない。
 文化勲章のほうとは違って、人が行動するとき、ついてまわるものだから、そこらへんにいくらでも転がっている。犬の糞みたいなものである。


 関係ないけど、最近は犬の糞、減ったねえ。飼い主のマナーの向上もあるのだろうし、保健所の活躍もあるのだろう。