感染力の強い病原体のような言葉があって、そういうものを発見することをわたしはライフワークとしている。
これまでにも、数多くのバイ菌言葉を発見してきた。最近の例では、「ベタ」なんていうのがある(id:yinamoto:20060318)。
わたしのことを、いっそ言語界の北里柴三郎と呼んでいただきたい。
今日もまた新たなバイ菌言葉を発見した。
「鶴田雅義と東京」というのがそれだ。
元は、「鶴田雅義と東京ロマンチカ」というグループ名なのだが、ロマンチカが外れた途端、わっと繁殖を始めるらしい。その詳細なメカニズムについては、今のところ不明である。
ただし、「鶴田雅義と東京」は、もっぱらハイソなものや、ブランドもの、ソフィステケテケテなものに強い感染力を持つことがわかっている。
例えば、コム デ ギャルソンに菌をばらまいてみよう。
鶴田雅義と東京コム デ ギャルソン
あっという間に、ジャジーなギターとむせびなくテナーサックスに乗って、雨と女と慕情の一夜に引きずり込まれてしまう。
「鶴田雅義と東京」は、分類的には昭和モダン歌謡菌の一種であるようだ。おそらく、その毒性は、昭和モダン歌謡菌の中でも最強のひとつに数えられるであろう。
わたしは、学術研究のためにソフィステケテケテなものに菌を感染させながら、一方で、うひひひひひ、ザマーミロ、という笑いを禁じ得ないのであるが、これはわたしが生来、品性下劣であり、誰かを引きずり落とすことに無上の喜びを感じるからと思われる。
カタカナのものにはよく感染するようで、「鶴田雅義と東京ココ・シャネル」とか、「鶴田雅義と東京ニューヨーク・タイムズ」とか(どっちなんだ?!)、「鶴田雅義と東京ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」とか、いくらでも昭和モダン歌謡のムーディーな沼地に引き込むことができる。
しかし、「鶴田雅義と東京カレーライス」とか、「鶴田雅義と東京マカロニグラタン」とか、庶民的なものはダメなようで、これは上流のものほど、繊細で抵抗力に欠け、菌が繁殖しやすいということかもしれない。
さらには、
鶴田雅義と東京なんでかフラメンコ
となると、どっちが感染してるんだかわからない。
菌と菌が食い合って、どちらも勢力をのばすことができない、という、ガンジス川の水質のようなことになっているからかもしれない。
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「今日の嘘八百」