頭の中の写真

 わたしは富山市で生まれ育ち、高校まで住んでいた。大学からは東京近辺に住んでいる。


 以前は、この日記によく、自分が生まれ育った土地に愛情を持てない、ということを書いていた。最近はそうでもなくなってきたように感じる。
 年をとったということなのかもしれないし、あるいは、若い頃も心の奥では愛情を持っていたのだが、富山のあまりのぱっとしなさを、どうにか遠ざけたかったのかもしれない。


 今でも、強く「愛している!」と宣言できるわけではない。しかし、ゆるゆると懐かしさや、親しみ、近しさは感じる。まあ、愛しているということなのだろう。


 お国自慢をするつもりはない。あれは実にくだらない。


「晴れた日の立山連峰はきれいです」とか、「魚がうまいです」と言ったところで、聞いているほうは、はあはあ(欲情しているわけじゃないよ)、と聞き流すか、いいですねえ、とテキトーに相づちを打つか、自分のほうのお国自慢をするしかない。
 お互い、大したものは得られないのだ。


 しかし、生まれ育った土地に対する自分の愛情の形を説明するのならば、いくらかは渡せるものがあるかもしれない。


 富山市というのは、しつこいが、ぱっとしない土地だ。しかし、わたしはそのぱっとしない部分をこそ、懐かしく感じるようだ。
 人についてもそうだが、愛情というのは、必ずしも相手が優秀だとか、利点があるから抱くものではない。


 富山市は空襲で焼けている。戦中生まれで農村地帯に住んでいた母親は子供の頃(2、3歳か)、遠くで町が燃えているのを見た記憶があるという。


 そこで一度、町はチャラになった。
 そうして、戦後、日本のあちこちの地方都市と同じように、安普請による再建が行われた。


 今は再開発でなくなってしまったが、わたしが小・中学生の頃、駅前には今にも崩れそうなモルタルの建物が並んでいた。
 食料品や衣料品を売っていたと記憶しているが、中に入ったことはない。共同店舗のようなものもあったと思う。もしかしたら、戦後の闇市の人々が、建物の中に入ったのだろうか。


 駅前から少し奥まったところにはポルノ映画館があり、そこへと至る小路はいかにもいかがわしく、暗い、湿った感じがした。


 今、懐かしく思うのは、そういう風景だ。
 あるいは、自転車で意味もなく走り回った、何ということもないコンクリートの町並みや、暗いガード下、国道沿いの田んぼの風景など。


 どれも、頭の中にとどまっている風景であって、現に目にするものとは違っている。自分の頭の中で修正を加えたところもあるかもしれない。


 撮影した当時はひどくつまらない写真でも、セピア色になってくればだんだんと味わいが出てくる。わたしの生まれ育った土地への愛情というのは、そういうものの愛し方に似ているようだ。


 現実を愛しているわけではなく、記憶を愛しているわけであって、今、現に富山市に住んでいる人には、いささか申し訳ないことを書いた。


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「今日の嘘八百」


嘘九十九 本当はわたしはギリシア生まれなんだけどね。