毛嫌い

 どうも相変わらず、あれが好きだ、これが嫌いだという話ばかりを書いていて、冷静になってみると、だから何なのだ、とも思う。


 書いている本人がそうなんだから、読んでいる方々はなおさらだろう。まあ、ひとつ鷹揚に受け流していただきたい。


 こう、いろいろ書いていて、嫌いなものについて書くときのパワーは、好きなものについて書くときに倍するように感じる。


 あれやこれやとくさして、「うひひひひ、ザマーミロ」と暗い喜びに身悶えする。実に困ったものだ。

 書いているときは楽しいのだが、読んで面白いかどうかは別の話である。前に書いたものを読み返して、「なーに、書いてんだか」と自分で呆れることもしばしばだ。


 嫌いなものについて、いかに自分が嫌いかを書く、なんていうのは、全然生産的ではない。
 しかし、まあ、どのみち、馬鹿が何かを生産したところで馬鹿な何かしか生産できないのだ。諦めている。


 わたしは、何かが嫌いになると徹底して嫌い抜くタイプで、こういうことというのは自分でコントロールできるものではない。


 性格がどの程度、親から遺伝するものなのかはわからないが、父親も同じだ。誰かを嫌いになると、もう顔もそむけんばかりになる。


 何年か前に亡くなった祖母もそうで、テレビに嫌いなタレントが映ると、その瞬間にテレビのスイッチを切ってしまった。呆気にとられるほど、素早かった。


 遺伝なのか、そういう行動を見ているうちに自分もそうなってしまうのか、ともあれ、毛嫌いするということについては、わたしは悪くない。家庭環境が悪かったのだ。違うか。


 えー、常に逃走経路を確保しておくということと、人のせいにしてしまう、というのは、わたしの人生の基本路線であり、スパイとの共通点でもあります。


 ま、早く言えば、卑怯者なんですけどね。


 ここでよくファンシーや奇怪な目をしたアニメ顔について、あれやこれやと理由を並べてくさすけれども、煎じ詰めれば、私が毛嫌いしている、というだけのことなのかもしれない。


 でも、やっぱ、大人が子どもっぽいものをヨロコんでいる姿って、みっともないと思うんだけどなあ、と、また悪口を書きそうになってきたので、今日はここまで。

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「今日の嘘八百」


嘘六百十一 ディズニーランド転覆をもくろむ悪の秘密結社を計画している。