漢字とひらがなの使い分けには、いくつかの方法があるようだ。
1つは、基本的に漢字を使える所では全て使うと謂う物。例えば、今書いて居る此の段落の文章が然うである。古い出版物は斯ういう風に割と漢字を多く使って居る事が多く、少々厳めしい印象を受ける。
2つめに、漢字をなるべく使うが、「〜という」や「〜している」、「〜すること」など補助的な言葉は開く(=ひらがなで書く)という書き方がある。現代では割と一般的な表記法だろう。
3つめは常用漢字にないものはひらがなで書くといういわゆる交ぜ書きで、新聞が多くこの表記法を採用している。例えば、「脳いっ血」、「名誉き損」といった表記法だ。嫌う人も多い。頭が悪そうで、意味も取りにくく、わたしもあまり好きではない。
和語の述語はひらがなでかくとよい、とする人もいる。今、誰の主張だったか、どういう理由だったか、おもいだそうとしているのだが、おもいだせない。今こうやってかいてみて、漢字とひらがなの混じり具合はわるくないとおもう。割にソフトになる。
最近しったのだが、和語はひらがなでかき、漢語は漢字でかく、というかきかたもあるらしい。これはひとつの見識だとおもう。漢語は漢字とともに輸入されたことば、あるいはそれをまねてつくられたことばであるから、漢字でかく。和語にとって漢字は本来あて字で、その無理がおくりがな問題なんかにあらわれているのだから、いっそ、和語は表音文字であるひらがなでかけばいいではないか、ということなのだとおもう。いま、こうやってかいていてもそれほどおかしなふうはない。ただし、ここまでかいた分では、「かきかた」という表記に違和感をおぼえる。
勿論、ぎゃくにかんごは平仮名に、わごはかんじにするのは駄目である。今書いている此のだんらくが然うで、ようちなこと夥しい。私の毛嫌いしている「ゆうちょ」(ばかやろう!)、「ねんきん」(手前はきんるいか!)の様なかんせい浅ぢえ平仮名子供ひょうきちょうに成ってしまう。
和語は基本的にひらがなでかく、というやり方は興味ぶかい。ただ、「かきかた」のような違和感のある言葉もある。なぜひらがなにしたとき、違和感をおぼえる和語とおぼえない和語があるのか、なにか法則があるのだろうか。その法則がわかれば、ひとつすじのとおった漢字・ひらがなのつかいわけができるようにもおもう。