身勝手な見方

 煙草をやめて、かれこれ7、8年になる。

 それまではヘビースモーカーだった。主にピースライト(ライトといっても、あれは結構ヘビーである)を吸っていたのだが、これはさすがにいかんかなあ、と軽い煙草に変えたら物足りなくなり、日に3箱吸うようになった。意味がない。

 わたしが煙草を吸っていたのは、ちょうど嫌煙がうるさくなってきた頃だ。煙草の煙が不快だとか、受動喫煙がどうたらという話を「なーにをヒステリックに」と思っていた。「煙のにおいが不快なら、自分も吸えばいいのに。気にならなくなるぜよ」と、うそぶいていた。「人間、どうせいつかは死ぬんだしよ。人生、ロケンロールだぜ。シド・ヴィシャス、万歳」。

 煙草をやめてからは、まあ、特に煙草を吸う人を毛嫌いすることはない。しかし、どこか哀れみの目で見ている。「ああ、この人は欲望に弱いのであろうなあ。いかんともしがたいのであろうなあ。奥さんもきっとブスに違いない」。外を歩きながら煙草を吸っている人を見ると、「危ねえなあ」と思うと同時に(いや、本当よ。800度の熱を振り回しているんだから)、「なーにをいきがっておるのであろうか」と内心小馬鹿にしている。

 いやはや、身勝手である。おそらくは、例の、人を蹴落とすことによって己を相対的に高めようという卑しい根性の表れなのであろう。