イギリス下院がうらやましい

 YouTubeで時折、イギリスの下院議会の討論を見る。

 前の下院議長バーコウ氏はユーモアたっぷりで、その議会の仕切りぶりが実に面白かった。ブレグジット騒ぎのときにイギリス以外でも注目を浴び、ファンも多いようである。

 その後、ホイル氏が下院議長の座についた。どんなもんだべさーと思っていたら、こんなムービーがあった。

 

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 重要事項を議会に報告する前にメディアに公開した国務大臣に、下院議長がガツンと食らわせる。

 イギリスの下院のよいところはこの率直なやりとりである。議長が議論を積極的に進める。与党と野党が実質的な討論を行う。官僚が用意した答弁を読み上げることの多い日本の国会とは随分違う。

 ひとつには、野党と与党が向き合う席の配置もあるかもしれない。日本の国会では、決められた席に議員が座るが、イギリスの下院では自由に座っているようである。この動画での議場のがらがらぶりも面白い。議員が出たいときは出る、出る必要がないと考えたときは出ないということなのだろう。議員が義務的に着座して居眠りしている我が国会とはえらい違いである。

 もちろん、イギリス下院の活気は空間レイアウトのせいだけではないだろう。議会における議論のあり方を長い時間かけて成熟させてきた伝統、先人の力が大きいのだと思う。

 ひるがえって、我が国会の動画を見ると(衆議院本会議ではなく、衆議院予算委員会):

 

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 この活気のなさ。官僚的、儀式的な答弁。特に追求される側の与党にやる気というものがまるで感じられない。

 イギリスの下院が本当にうらやましい。日本はまず国会を改革すべきではないか。

 

世界が、世界が、と盛りすぎじゃないか。

 YouTubeを見ていたら、中田英寿セリエAデビュー戦の動画がレコメンドされたので、見てみた。

 

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 確かに、この試合での中田の活躍は素晴らしい。

 しかしまあ、「世界に衝撃を与えた」はさすがに盛りすぎだろう。ユベントスは人気チームだから世界のあちこちである程度見ていた人はいるだろうけど、世界レベルで衝撃を与えたわけではないと思う。イタリアではその日のスポーツニュースか何かで注目されたかもしれない。しかし、もちろん、イタリア=世界ではないし、中田がイタリア人に衝撃を与えたかどうかもわからない。

 むしろ、日本人選手がイタリアでもやれるということを見せて、「日本に衝撃を与えた」というのが正確なところだろう。世界に、ではない、日本に、なのだ。

 どうも欧米で日本人が活躍すると、過度にコーフンする人が多いようだ。そのあげくに、「世界に衝撃を与えた」などと大袈裟にすぎる表現をしてしまう。盛ることで、快感が増すのだろう。これだけコーフンするということは、もしかすると劣等感なりコンプレックスなりの裏返しなのかもしれない。

 中田はセリエAでなかなかの成績をあげた。しかし、レギュラーをつかんだと言えるのは、怪我の影響もあったろうが、ペルージャでのデビューの年と、パルマでの二年目だけである。実績で言えば、最近の日本人選手のほうがずっと上である。

 憎まれ口になってしまった。日本人サッカー選手が欧州に進出する先鞭をつけたという意味で、中田の功績をたたえたいと思う。

ピーポくんは全裸だが問題ないのか

 

 警視庁のシンボルマスコットであるピーポくんである。

 警視庁の広報ツールなどによく登場する。

 前々から疑問なのだが、ピーポくん、全裸だ。全裸にベルトと襷だけ。はっきり言って、変態である。おれがこんな格好で街を歩けば、確実に逮捕される。「ピーポくんの真似をしているだけなんです!」と言い訳しても、絶対に許してもらえないであろう。

 ピーポくんの全裸姿、警視庁としては問題ないのであろうか。

 性器がないからいいのだ、という説明もあるのかもしれないが、爬虫類には普段、性器を体内に収納していて、いざというときに伸ばす種もいる。ピーポくんがそうでないのだ、とは言い切れないだろう。もしそうなら、ピーポくんが街をパトロールしていて、きれいなお姉さんに興奮したら、目も当てられないことになる。

 ピーポくんには家族がいるらしく、こんなイラストもあった。

 

 

 お父さんとおぼしいの、おじいさんとおぼしいの、ともに下半身丸出しである。男性は下半身隠すべからず! という一家の方針なのであろうか。もっとも、右端の幼児は半ズボンを履いているから、一定の年齢に達したとき、ピーポくん一家の男子は下半身をさらけ出す一族のルールがあるのかもしれない。

 しかしまあ、ピーポくんをマスコットとして採用するとき、警視庁内で問題にならなかったのであろうか。

担当「あたらしく警視庁のマスコットとしてこのキャラクターを採用したいと考えております」

偉い人「ふむ。しかし、全裸にベルトだけ、というのは問題ないかね?」

 などという会話はなかったのか。

 もっとも、ピーポくんが制服を着ていたら今いちパンチのないキャラクターになったようにも思われる。ピーボくんが目を引き、印象に残るのは全裸にしたという英断(?)の結果でもあるようにも思うのだ。

クロップさん

 サッカー・プレミアリーグリヴァプールユルゲン・クロップ監督が今シーズン限りでの退任を発表した。

 おれが知ったのは先週の日曜夜だった。スマホをぱらぱら見ていて、突然、「退任発表」というニュースが目に入った。ショックだった。

 クロップ監督の偉大さはいろいろある。

 戦術面では、まず前線からの激しい守備がある。ドイツ時代には「ゲーゲンプレス」と呼ばれていて、クロップ本人が「ヘビーメタルだ!」と言っていたほど、クレイジーな追い回し方だった。もちろん、選手の消耗は激しい。しかし、前線でボールを奪えば、即カウンターにつながるし、ボールが奪えなくても相手チームは思ったところにボールを運べなくなる。

 リヴァプールの監督に就任して、チームが成熟するにつれ、パスをつないでボールを保持することにも取り組むようになった。グアルディオラ監督が洗練させたポゼッション戦術を取り入れたものだと言えるだろう。今のリヴァプールはポゼッションとカウンターを試合の局面に合わせて使い分けている。

 両サイドバックの攻め上がりも特徴だ。右サイドバックのアレクサンダー・アーノルドと左サイドバックのロバートソンがゴールライン間際まで攻め上がり、クロスをあげて、得点に結びつける。守備はその分、危険にさらされるので、これまたクレイジーだが、リヴァプールはリスクをとって得点を狙う。このやり方がうまく行くのは、後方のファンダイクやGKのアリソンの巧妙な守備があるからこそでもある。

 選手の頻繁なポジションチェンジも特徴で、たとえば、前線がサラー、ヌニェス、ルイス・ディアスだとしたら、この3人が入れ替わる。右のサラーや左のルイス・ディアスがいつのまにか真ん中でプレーしていたり、左右の目入れ替わっていたり、真ん中のヌニェスが右、左に位置したりする。相手はマーキングが混乱し、その隙をついて、ゴールに襲いかかる。

 クロップはモチベーターとしても優秀だ。選手に火をつけるのが上手い。試合中は全身で喜びを表現し、不服な判定には怒りをあらわにして抗議する。スタジアムのサポーターを煽り、ホームのアンフィールドは爆発的なムードに包まれる。

 そして、なんといっても人柄が素晴らしい。人格者である。

 退任発表後にサポーターに向けたメッセージ。

 

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「(サポーターに)もう一つのお願いですが、私への応援チャントをあまり早く歌わないでほしいです。いつも大きな声でスタジアムを埋め尽くしてくれますが、『これを私に対するものにしないでほしい』ということです」

 泣けてくる。クロップがリヴァプールのサポーターと結んだ紐帯は強い。これほどイギリスで愛されたドイツ人はいないのではないか。

環境に負荷をかけながら自然を愛するのココロ

 パタゴニアの創業者、イヴォン・シュイナードの「社員をサーフィンに行かせよう」を読んだ。

 

 

 イヴォン・シュイナード、あるいはパタゴニアの一貫性はさすがである。環境に対する影響を最小限にとどめ、環境についての啓発活動を推し進める。存続のためには当然、利益が必要だが、単に利益を追求することではなく、究極的には環境保護に対する活動を行うためにパタゴニアは事業をしている。

 イヴォン・シュイナードはもともとクライマーで、ある岸壁を登ったとき、岩にたくさんのピトン(ロープをつなぐための杭のようなもの)が残されていることに疑問を持った。自然を愛して山に登っているのに、その自然を壊してしまっている。そこから岸壁への負荷の少ない登山道具を開発した。その後、ウェアに着目してパタゴニアの事業をスタートさせた。

 わかりやすいストーリーである。パタゴニアの本気度にも疑いはない。一方で、おれには少し引っかかるところもあった。

 おれは山に登らない。自分のやらないことには手厳しくなりがちで、なんでわざわざ苦しい思いをしてまで山に登らないといけないのだと思う。が、もちろん、その苦しさ以上の喜びや楽しさが、登山をする人にはあるのだろう。おれは釣りもしない。余分な殺生をしたくないというのもある。

 アウトドアにはほとんど興味がなく、せいぜい自転車でそこらへんを走り回るくらいである。東京近辺の川や公園を走る程度だから、まあ、アウトドアとは言えない。

 でまあ、そういう非アウトドアの人間だから思うのだろうが、環境保護を重視するクライマーというのは一方で矛盾を抱えていないかとも思う。彼らは山に向かうとき、全行程を歩いていくわけではあるまい。おそらく、近くまではクルマで行くはずだ。ガソリンをがんがん燃やして、CO2を排出しながら山まで行く。そうして、環境は大切だ、と主張する。パタゴニアの服を買って。だったら山なぞ登らず、クルマにも乗らずにいたほうが害は少ないのではないか。

 もっとも、そういうふうに突き詰めていくと、家でじっとしていろ、なるべく息も吐くな、となってしまう。そうまで言うつもりはないが、ちょっと引っかかるのよね。

アニメが苦手だ

 おれはアニメが苦手で、出くわすとげげげげげと拒否感が全開になる。

 なぜそう嫌いかというと、ひとつには嫌いのなかでも毛嫌いというやつで、嫌となると徹底して嫌になるというおれのよくない性格のせいもあるかもしれない。

 しかし一方で、嫌いの理由を分解できるとも思っている。

 まずはアニメの子供っぽさが嫌ということがある。絵が、いかにも可愛いでしょ、という流れから生まれていて、たいがいのアニメの絵は子供っぽい。演出も子供っぽい。特におれが苦手なのがロリコン系の絵で、これはアニメから生まれて、今ではイラストの分野まで侵食している。ネットの広告で顔はロリロリなのに、胸が巨大なアニメ絵に出くわすことがある。げげげげげである。パフェにアイスクリーム盛り盛りみたいなのが夢のスイーツというような子供っぽい発想がたまらなく嫌である。

 演出の大仰さも嫌である。とにかく表現、動きが大仰である。二十代の頃まではそれでも宮崎駿のアニメ映画を見ていたりしたのだが、あるとき、あの大仰な演出がたまらなく嫌になってしまった。アニメの大仰さは先に書いた子供っぽさにも通じていると思う。宮崎アニメも随分子供っぽい(意図してるのだろうが)。

 大仰といえば、声優のセリフまわしも大仰で嫌である。大仰に叫ぶ、大仰に泣く、大仰に笑う。リアルな世界ではあんなに大仰な感情表現しないだろうと思うのだが、とにかく抑揚を極端につける。特におれが苦手なのはアニメ声というか、裏声混じりの高音で極端に音程の上がり下がりをつけるタイプだ(わかるかな)。「なんとかなンですぅ〜」みたいな媚びた嫌らしいセリフまわしだ。しかし、どうやらこれが世の中では好まれるらしく、コンビニの店内放送やら、チェーン店の券売機やらにもあのアニメ声が使われるようになった。これまた、出くわすとげげげげげである。

 あのセリフまわしの大仰さ、絵の動きの大仰さは、実はアニメの絵の退屈さをカバーしているのかもしれない。実写なら、写っている画のあちこちが微妙に動く。しかし、アニメではコストの関係もあって、注目させたいところ以外は動かさない。そういう変化の少なさを、大仰な動きとセリフまわしでカバーしているのではないか。

 しかしまあ、食わず嫌いもいかんなーと思い、時々はアニメを見てみようと挑戦する。そのたびに「やっぱダメだわ」となる。少し前だが、評判のよかった「この世界の片隅で」を見てみた。しかし、開始5分でギブアップした。やっぱ、おれは毛嫌いしているのかなあ。

牛の解体ショーはなぜないのか

 マグロの解体ショーなるものがある。ショーではないが、たとえば、こんなものだ。

 

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 なかなか豪快で、確かに見ていて面白い。専門の業者もいるようだ。

 マグロの解体ショーはあるのに、なぜ牛の解体ショー、あるいは豚の解体ショーはないのだろうか。

 まあ、そんなものグロテスクで見たくない、というのはわかる。ではなぜ牛の解体だとゲロゲロで、マグロの解体だとゲロゲロではないのか。

 ひとつには、魚をさばくのは魚屋なり家庭なりで子供の頃から見慣れているから、という考えはありそうだ。マグロは巨大とはいっても魚で、アジやハマチをさばくのと本質的には変わらない、とまあ、そんな理由だ。

 では、欧米の家庭でウサギをさばくのを見慣れている人は(今はそんな家庭は多くないだろうけど、文化的にはありそうだ)牛の解体に抵抗ないのだろうか。あるいは、日本でも鳥を締める家というのは今でもあって、そういう人たちは牛の解体をどう感じるのだろうか。ちょっと興味が湧く。

 もうひとつの考えは、マグロに比べて、牛の体内は人間に似ており、牛の解体は人間の解体を思わせて気持ち悪い、というものだ。胃だの心臓だの肝臓だのを見るのは、自分たちの死、グロテスクな体の成り立ちを想像させる、というものだ。

 なるほど、これはいかにもありそうだ。最初の見慣れているかどうかというのはもちろん大きく、食肉工場で働く人がいちいちゲロゲロしていては仕事にはならない。しかし、グロテスクさを感じるかどうかの根本には自分たちにどこまで似ているか、近いのかという意識というか捉え方がありそうだ。だから、たいていの人は生花で植物をハサミでチョキチョキやるのを見ても残酷とは思わないのだろう。