ラテンアメリカ小説遍歴(2023年)その3

 年末年始からラテンアメリカ小説を読み続けてきた。その記録、三回目。

 

 

 チリの女性作家イサベル・アジェンデの大河小説。母系でたどる三代の女性を中心とした物語。

 デビュー作で、1982年の作だから、いわゆるラテンアメリカ文学のブームの少し後になる。大変に売れたらしい。

 評価については毀誉褒貶いろいろあるようだが、おれは楽しく読めた。毀誉褒貶のうちの毀、貶のほうはガルシア=マルケスの「百年の孤独」に比べられてしまうせいもあるのだろう。一族の物語であり、最初の世代のクラーラが超能力で不思議現象を起こすところなんかが「百年の孤独」の真似だとか、焼き直しだとか言われるんだと思う。しかし、読んだ感じでは別物である。あの二十世紀を代表する大傑作と比べるのはあまりに気の毒だ。また、特に序盤部分には文章の拙い感じも少しあるけれど、ちょっと気になる程度である。なんたって、初めて書いた小説である。

 終盤の、チリのクーデター騒ぎに巻き込まれるあたりは、イサベル・アジェンデ自身が体験したことが重ねられていて、迫力がある。

 面白い大河小説を読みたい方にはおすすめである。

 

 

 ジャーナリストのP・A・メンドーサがガルシア=マルケスにインタビューした記録。

 メンドーサはガルシア=マルケスとの古い馴染みで、ガルシア=マルケスが記者をしていた頃にいろいろと修羅場を一緒にくぐり抜けてきた。それだけにくつろいだインタビューとなっている。

 ガルシア=マルケスの作品の制作過程や、小説に対する考え方、執筆のスタイルがよくわかり、楽しい。どんどん書いて後から直すというより、気に入る文が出てくるまではずっと粘るスタイルらしい。寡作なのはそうした書き方にもよるのか。

 ガルシア=マルケスの陽気なようで、内向的な部分を抱えた性格も、そのユーモアもよく伝わってくる。

 

 

 「グアバの香り」で興味を持って、ガルシア=マルケスの初期作品を読んだ。

 短編「ママ・グランデの葬儀」を除いて、後の「百年の孤独」の奔放な書きっぷりを、初期作品から感じるのは難しい。習作期というか、大いなる助走というか。

 舞台はいずれもコロンビアのカリブ海寄りの村である。カリブ海と聞いて思い浮かべるような楽しげな、明るい雰囲気はなく、ねっとりとした空気と不快なにおいのなか、灼けた地面のうえで、人々が気だるい気分を抱えて生きている。そんなイメージだ。

 この後、ガルシア=マルケスは長いスランプ期間に入り、明けたところで、突然、「百年の孤独」を書き、その後も傑作を続ける。

 この本は花開く前のつぼみの期間というか、つぼみになる前の変化の記録というべきかもしれない。

 

 

 ペルーの作家バルガス=リョサの小説。

「僕」と若いフリア叔母さんの恋、そして次第に精神に変調をきたしていくラジオドラマ作家と「僕」との交流、回を追うにつれ混乱していくラジオドラマ、が交互に描かれていく。

 喜劇、スラプスティックのテイストで楽しく読めたが、同じ喜劇でも、「パンタレオン大尉と女たち」に比べると、終盤でズドンと来る部分がなく、あれれれ、という感じではあった。バルガス=リョサには重い衝撃のようなものを期待してしまう。

 

 

 中編「予告された殺人の記録」は一昨年の年末にも確か、読んだ。

 双子の兄弟が一家の名誉のために、やさ男のサンティアゴ・ナサールを殺すと公言してまわる。おそらくは内心、誰かに止めてもらいたいと双子は考えている。しかし、決定的に止めてくれる者がいなくて、最後は犯行に至る。そのプロセスが克明に描かれる。直接の犯行者は双子の兄弟だが、見過ごす町の人びとは間接的な犯行者ともいえる。最後の犯行と死へのシーンはあれよあれよと大変な迫力だ。

 筆致はジャーナリスティックで、「百年の孤独」のような魔術的リアリズムとはまた違った魅力を見せてくれる。もっとも、ヒロインのアンヘラ・ビカリオのその後の物語はどこか魔術的リアリズム的ではある。

「十二の遍歴の物語」はヨーロッパを舞台にする南米人たちを描いた短編小説集で、どれも面白く読める。ヨーロッパが舞台なので、カリブ海のねっとりとした空気はなく、その分、きっちりした構成がはっきりと見える感じがする。何かでガルシア=マルケスは「しっかりした構成をつくることが大事だ」みたいなことを言っていて、それを体現したような短編集である。

 

 昨年も確か、年末年始から6月までラテンアメリカ小説を読んだのだったと思う。今年も同じペースだ。いったんここで打ち切ろうと思う。

 ラテンアメリカの小説は新鮮で、面白い。