百年の孤独 神話、伝説、リアリズム

 ガルシア=マルケスの「百年の孤独」を読んだ。

 ラテンアメリカ文学を代表する小説であり、世界的大ベストセラーでもあって、「ソーセージのように売れた」んだとか。スペイン語で書かれた本のなかでは、聖書を別にすれば、最も出回った本とも聞く。

 おれが通して読むのは3回目だろうか、4回目だろうか。初めて読んだのはもう20年以上前だと思うが、今読んでも変わらずに面白く、衝撃がある。無数のエピソードの詰め合わせのような小説で、よく覚えているものもあれば、あれ、こんな話あったかな、というものもあった。

 

 

 今回、初めて気づいたことがあるので、書いてみる。ネタバレ的要素もあるが、ネタバレしたからといってつまらなくなる小説ではないので、お許しいただきたい。

百年の孤独」は書名の通り、マコンドという村の百年、あるいはその中心的一族ブエンディア家の百年にわたる大河小説である。非常に多くの人物が登場するが、特に大きく扱われる人物に即すと、五つの時代に分かれるように思う。

 

① ホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラ・イグアランの夫婦がマコンドの村を建てていく時代

② ブエンディア家が恋であふれ、ホセ・アルカディオが世界を経めぐり戻ってくる時代

③ アウレリャノ・ブエンディア大佐が反乱と雌伏を繰り返す時代

④ アウレリャノ・セグンドとフェルナンダの夫婦がブエンディア家の主導権を握る時代

⑤ 叔母・甥の関係であるアマランタ・ウルスラとアウレリャノのロマンスと崩壊の時代

 

 20世紀後半の文芸評論家ノースロップ・フライは、文学は以下の流れで発展してきたと説いたそうだ(「批評の解剖」という本で書いたんだそうだが、おれは筒井康隆「文学部 唯野教授」で読んだだけで原著は読んでいない。横着で、申し訳ない)。

 

1. 神話

2. 恋愛小説、冒険小説、伝奇小説

3. 悲劇、叙事詩

4. 喜劇、リアリズム小説

5. 風刺、アイロニィ

 

 そうして、5の次には再び神話に戻るのだそうだ。

百年の孤独」はこの文学の流れをひとつの小説の中でなぞっているように思う。

 ①のホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラ・イグアランが村を建てる時代はいかにも牧歌的で、神話的な荒唐無稽な出来事が起きる。ホセ・アルカディオ・ブエンディアが庭の栗の木に縛り付けられ、風雨にさらされるという神殺しのような話もある。

 ②で活躍する人物は第二世代に移る。レベーカとアマランタがイタリア人をはさんで恋の鞘当てをし、アウレリャノ・ブエンディアがまだ月のものも見ない少女に恋をする。巨根の持ち主ホセ・アルカディオはジプシーとともに村を出て船乗りとして世界中をめぐり、マコンドに戻ってくる。ノースロップ・フライの区分でいえば、「2. 恋愛小説、冒険小説、伝奇小説」の時代である。

 ③のアウレリャノ・ブエンディア大佐の話がおれは一番好きだ。「アウレリャノ・ブエンディア大佐は三十二回も反乱を起こし、そのつど敗北した。十七人の女にそれぞれひとりずつ、計十七人の子供を産ませた(中略)大佐はまた十四回の暗殺と七十三回の伏兵攻撃、一回の銃殺刑の難をまぬかれた。」という文章におれのオトコのコの血が騒ぐ。アウレリャノ・ブエンディア大佐は己の反骨精神に忠実に生き、シーシュポスのように反抗を続ける。英雄の時代であり、「3. 悲劇、叙事詩」の時代である。

 ④のアウレリャノ・セグンドとフェルナンダの夫婦の頃になると、ぐっと話のスケールが小さくなる。マコンドも近代化の時代だ。いろいろととんでもない出来事も起きるのだが、①〜③の時代に比べると身近なというか、我々と地続きの生き方をしている人たちの話のように感じられる。「4. 喜劇、リアリズム小説」「5. 風刺、アイロニィ」の時代である。

 ⑤のアマランタ・ウルスラとアウレリャノのストーリーは、最初、アマランタ・ウルスラがヨーロッパ帰りだったりしてマコンドの現代化がリアリズムをもって書かれるのだが、アマランタとアウレリャノが結ばれるあたりから筆の運びが変わり、アマランタの妊娠からはエンディングに向かって怒涛の展開を見せる。最後の、崩壊する家のなかでアウレリャノが目にするものには深く感銘を受けた。ガルシア=マルケスの筆は、神話に戻った。

 何しろ、いろんなお話が塗りこめられ、多くの人物がからみあい、中にはウルスラ・イグアランのように①、②、③、④の時代を生き抜く人物もいるし、①〜⑤の間には混じり合うところもある。単純化はそうできないかもしれないが、「百年の孤独」は、大きくは神話で始まり、伝説、リアリズムを経て、再び神話へと戻る構造ではないか。ガルシア=マルケスノースロップ・フライの説を意識しながら「百年の孤独」を書いたんではないか、というのがおれの見立てだ。