ラテンアメリカ小説遍歴(2023年)その2

 昨年末以来、相変わらずラテンアメリカの小説を読み続けている。以前に「ラテンアメリカ小説遍歴(2023年)その1」を書いたその続き。

 ラテンアメリカの小説がブームとなったのは1960年代から70年代にかけてだ。金字塔と言うべき、ガルシア=マルケスの「百年の孤独」が出版されたのは1967年。その前後に多くの面白い小説が出版された。

 物事には、そういう台風が発生するような爆発的発展時期がたまにある。ラテンアメリカ小説ブームと同時代のロックがたとえばそうで、さまざまなミュージシャン、バンドが相互に触発されつつ、新しい勢いのある音楽を生み出していった。あるいは、パーソナルコンピュータなら1970年代後半から1980年代、柔術の寝技なら1920年代から30年代、現代はおそらくAIの爆発的発展時期なのだろう。爆発的発展時期には、ある面白い試みに参加メンバーたちが興奮して、また別の面白い試みを行い、それがまた他の参加メンバーたちを触発して・・・と、短時間で急速に化学変化が起きる。

 ラテンアメリカの小説も同じで、さまざまな国のさまざまな作家たちが、スペイン語という共通言語のもとで前衛的な、多くのアイデアに満ちた小説を書いていった。お互いに刺激し合う部分が相当あったろうし、一種、熱に浮かれるようなところもあったのだろう。

 今回紹介する3つの小説のうち、2つはこのラテンアメリカ小説ブームの時代のものだ。

 まずは、ノーベル賞作家バルガス=リョサのデビュー作「都会と犬ども」。1963年に出版された。

 

 

 おれがラテンアメリカの小説で一番多く読んでいるのはガルシア=マルケスで、その次がバルガス=リョサだ。

 バルガス=リョサの作品で毎度感心するのは、その構成の上手さだ。断章を、時系列バラバラに並べる手法をよく使う。どうやら、一度、時系列順に書いてから、順番をいろいろ入れ替えて書き直すようなことをやっているらしい。文章は引き締まっていて、無駄がない。

「都会と犬ども」の舞台はペルーの士官学校で、外界から隔離された軍の寄宿学校の中で少年たちは人間から犬になる。いじめ、獣姦、盗み、ギャンブル、自慰大会と、なかなかに凄まじい。少年たちが特殊な環境に置かれて変貌するという点では、ゴールディングの「蠅の王」を思い出す。

 前半は詩人、ジャガー、奴隷という三人の生徒を中心に、士官学校の特殊な世界が描かれる。真ん中あたりで大事件が起こり、物語が一気に動き出す。そして、最後に少年たちが人間性を取り戻す救いの章で終わる。バルガス=リョサの文体と構成は緊密で、よくまあ二十代でこんな小説を書いたものだ、と思わせる完成度だ。「それで」「それで」と次を読みたくなるのは、文体と構成の力なのだろう。

 

 次は、アルゼンチンのビオイ=カサーレスの「モレルの発明」。1940年の出版だから、ラテンアメリカ小説ブームより一時代前の小説である。

 

 

 ネタバレするとつまらない小説なので、紹介しにくいのだが、孤島で主人公が体験する奇妙な出来事の数々と、そのトリックの種明かしという、ミステリーとSFが合体した内容だ。ウェルズの「モロー博士の島」に似ていて、実際、ビオイ=カサーレスには「モロー博士の島」へのオマージュの気持ちもあったらしい。

 抽象的な言い方で申し訳ないが、これは二重性についての物語だ。一方で、小説の結構自体がある種の二重性を帯びている。読み終わった後、ダブルのダブルビジョンにちょっと酩酊のような気分を覚えた。

 幻想と理知が入り混じった作風は、同じアルゼンチンのボルヘスに似ている。小説を書くにあたってはボルヘスがアドバイスを与えたというか、一緒にアイデアを組み立ていったところもあるらしい。ボルヘスは序文も書いている。

 長さは長編というより、中編くらい。レトロなイメージもある小説だから、小説のある種のノスタルジー(まさにウェルズのような)を味わってみたい方はどうぞ。

 

 最後は、キューバカルペンティエルの大作「光の世紀」。

 

 

 光の世紀とは、啓蒙(蒙を開く→光)の時代のことである。

 フランス革命カリブ海に輸出しようとするフランス人ビクトル・ユーグと、キューバハバナの裕福な家庭出身の従姉弟、ソフィアとエステバンの三人が主人公である。

 序盤、三人とソフィアの兄カルロスがどんちゃん騒ぎを繰り返し、ハバナの街を冒険するあたりは実に楽しい。このまま、革命騒ぎの冒険活劇が始まるのかと思いきや、次第に話は苦くなっていく。

 ビクトル・ユーグは若き革命家から行政官、政治家へと進み、初期の陽気で情熱的な活動家から冷徹で厳格な指導者へと変貌していく。革命というものには原理的にそうした現実との妥協、あるいは整理、断罪、それに伴う無情さ、残酷さが内包されているのかもしれない。エステバンは革命のもたらす惨禍や矛盾を体験し、幻滅していく。ソフィアはおそらくこの時代には珍しい行動的な女性として家を飛び出し、最後は反乱に加わる。

「光の世紀」が出版されたのは1962年。1959年にはキューバ革命が起きたから、おそらくキューバ革命の現実と幻滅が作品に影響を与えているのだろう。

 

 あと少しラテンアメリカ小説を読む計画がある。終えたら、また報告したいと思う。