陰謀論にとらわれる理由

 陰謀論にとらわれる人というのがいて、まわりから見ると「なんで?」と思うのだが、本人はいたって真剣なようである。

 たとえば、アメリカではトランプ前大統領は闇の政府(ディープ・ステート)と戦っていたのだと信じる人たちがいるし、コロナは製薬会社の陰謀だと信じる人たちがいるし、大東亜戦争蒋介石の陰謀だと信じる人たちがいるし、ウクライナでの戦争も陰謀のせいだと信じる人たちがいるようだ。

 人はなぜ陰謀論にはまるのかと考えてみた。3秒で答えが出た。3つある。

 

● 単純化したい

 現代の大きな出来事というのはたいがい複数の要因がからまりあって、相互にひっぱりあいながら起きる。事情は複雑で、そうした様相を描き出すのは大変だし、理解するのは骨が折れる。ところが、陰謀論は「誰々の(あるいは何々の)陰謀だ」と一面的な見方で済んでしまうので、理解が簡単である。スパッと答えが出る(出た気になる)ので、あんまりあれこれ考えずに済むし、気持ちもよい。物事を単純化して理解した気になりたいのだろう。

 もちろん、実相の複雑さを複雑なままに理解することと、単純化して理解した気になることには雲泥の差がある。もっとも、陰謀論にはまる人が物事を単純化したいのか、そもそも頭が単純なのかは議論の余地があるだろう。

 

ロマンがある

 陰謀論というのはたいがいストーリーになっている。筋があって、おまけに陰謀であるからして表にはあまり出てこないことになっていて、秘密めいたところがある。そうした秘密を知ることにはロマンがあるのだろう。

 

● 優越感を味わいたい

 陰謀は隠されている。それを知ると、他の人が知らないことを自分は知ってるのだ!、という優越感を味わえるのだろう。他の人は知らないのではなくて、聞いたとしても馬鹿馬鹿しく思っているだけなのかもしれないが、陰謀論を信じる人は「知らないのだ」と決めてかかってしまう。そうして知っている自分のほうを上と感じる。てっぺんからの風景は気持ちよいのだろう。デタラメでできた山の上に登ったのかもしれないが。

 

 なぜおれにこんなことがわかるかというと、自分の心の中をのぞいてみたからだ。おれもそんなふうに思うかもしれない、というわけだ。おれにも陰謀論を信じる素地はあるのだと思う。ただ、今のところは他の考え方(理性といってもよい)のほうが強いから、陰謀論にははまらずにいる。

 世の中にいろいろと陰謀はあるだろう。しかし、陰謀はいくつもあって引っ張り合いをしているかもしれず、陰謀以外の他の要因との引っ張り合いもおそらくはあり、複数の力が引っ張りあうなかで、大きな出来事というのは動いていく。たったひとつの陰謀で世の中が大きく動くということはまずないだろう。陰謀の存在と、陰謀論の間は随分と離れているのだ。