通の人々

 ブログで、時折、落語について書いたものを目にすることがある。


 もちろん、人によって書くことはいろいろなのだが、内容的なこと、いわゆる批評めいたもので面白い文章に当たったことがない。


 ナニ、人のことばかりではない。自分でもその手のことを何度か書いたことがある。後で読み返すと、底が浅くて、恥ずかしくなる。


 中には落語家の符帳を得意気に振り回す人もいて、しかも言葉の意味について何の説明もしなかったりする。
 通ぶった感じがして、イヤなものである。


 何しろ、客の側は気楽だ。


 自分がその芸で食っていくわけでなし、噺と格闘したこともなく、言いたいことを言っていられる。
 的はずれなら放っておかれるだけだし、たまたまいいことを言うと持ち上げてもらえるかもしれない。


 事情は昔もあまり変わらなかったようで、昭和三十年代に落語研究家の飯島友治という人が、TBSと組んで、「若手勉強会」というのを開いたそうだ。
 当時の若手有望株が客と師匠連の前で落語をやり、終わってから師匠連が意見をする、という会。割と話題にはなったらしい。


 最初は今の談志、圓楽、亡くなった志ん朝なんかも若手として参加していたそうだ。


 以下、川柳川柳(かわやなぎ・せんりゅう)著「天下御免の極落語」(彩流社ISBN:4882028948)より。


 とにかく厳しい会だった。高座から客席を見ると後席に、師匠方が並んでいる。
 文楽志ん生圓生正蔵、小さん、小円朝、など凄い顔ぶれが、スリを追う刑事のような目をしてわたしを睨んでいる。
(中略)
 そして、会がハネてからの楽屋が大変、師匠方だけでなく客も入れるのだ。飯島氏が客に自分を売るためにこれを考えたのだ。初めは師(稲本註:三遊亭圓生)も反対したが押し切られたそうだ。
 一人ひとりからの批評というより叱言会だ。まあ、師匠方の批評はありがたいが、一応それが終わると飯島氏が、
「あ、お客さんも何かありませんか」
 当然、それを目当てに来ている落研か何かの小生意気な若造が的外れなことを言い出す。腹立たしいが「ありがとうございました」と礼を言わなくてはならない。もう口惜しいやら情けないやら。


 今のブログは、直接、本人に言うわけではないが、「的外れなことを言い出す」にはうってつけの道具である。


 最初の会の夜、志ん生師が朝太(稲本註:後の志ん朝)に言った。
「落語は算術のように、一足す一は二じゃあないんだ。噺は理屈じゃあないよ」
 呆れたらしく一回きりで、次回からは来なかった。


 でまあ、素人が的外れなことをやると、どういうことになるかというと、次のような目にあう。


 半年あまりたったころ、事件が持ち上がった。小ゑん(稲本註:今の談志)が飯島氏と衝突したのだ。
 これにはいろいろ伏線があった。出演者と演目が決まると、赤坂のTBSの寮で、飯島氏と東大の落研の学生五、六人の前で一席演じさせる。その後で偉そうにケチをつけて直させる。みな、師匠に教わって許しを得ている噺で、二つ目とはいえプロである。
(中略)
 うちの三人は師の手前、一応素直に従っていたが、小ゑんだけは一回も来ない。それから朝之助ととん橋は、そんなものに素面でつき合えるかと酔って現れる。
 怒った飯島氏が東宝で小ゑんに文句を言った。小ゑん、詫びるどころか飯島氏の胸ぐらを掴んで、
「オイ飯島、てめえ何様のつもりなんだ。プロの芸にド素人が口を出すな」
 蒼くなった飯島氏が、ちょうど楽屋にいた師に泣きついた。
「師匠、今そこで小ゑんに脅かされました。あいつはやくざです。(以下、略)」


 談志の面目躍如たるものがある。


 それはいいとして、料理の上手い不味いは誰でも言える。甘いの辛いのも、言うのは簡単だ。
 しかし、板前やコックに、調味料の量や火加減を云々するには、食う側によほど修養がいると思う。

                  • -


「今日の嘘八百」


嘘五百七十五 「すっ裸の大将放浪記」という本があって、大将と出会った人達は全員走るように逃げていくんだそうだ。