人間国宝と裸

 またも落語の話になってしまう。
 まあ、わたしが今、得ている意味ある情報のうち、七割方は落語についてだから仕方がない。興味のない方は諦めていただきたい。


 落語界で今まで人間国宝重要無形文化財)に指定された人は2人いて、五代目柳家小さんと三代目桂米朝がそうだ。それぞれ、東京の落語、大阪の落語を代表する落語家である。


 五代目柳家小さん(えーと、念のため、書いておきますが、柳家小、という人ではありませんよ)は2002年に亡くなった。
 米朝師匠は齢80歳を越え、半ば夢の中を楽しむように生きていらっしゃる、とも聞く。慶賀なことである。


 この2人、芸風は全然違うが、いろいろと共通点がある。


 まず、たくさんの弟子を育てた(ま、だからこその人間国宝だろうが)。


 小さん師匠の直弟子は、預かり弟子(元々は違う師匠についていたが、師匠が亡くなったり商売替えしたりして、移ってきた弟子)を含めて、30人以上。
 米朝師匠の直弟子は、20人以上(笑芸人編「落語ファン倶楽部vol. 4」より)。


 孫弟子、ひ孫弟子まで含めると大変な数になる。ちょっとした種牡馬である。


 初期の弟子に、小さん師匠は立川談志米朝師匠は月亭可朝というトラブルメーカーを抱えていたところも興味深い。
 若いうちに弟子で苦労すると、師匠として肝が据わり、「あいつに比べりゃあ」と、いろんなタイプの弟子の面倒を見られるようになるのだろうか。


 もうひとつの共通点は、弟子が素っ裸になるところである。妙な話だが、本当だ。


 2人とも年中行事として、一門が顔を揃える機会を作っていた。


 小さん師匠の場合は、1月2日(小さん師匠の誕生日でもある)に、目白にある自宅の剣道場で新年会を開いた。弟子の隠し芸が名物だったそうである。


 吉川潮「完本・突飛な芸人伝」の柳家小三太の項に、小さん師匠の新年会の雰囲気を伝える文章がある。


 まず小たか(稲本註:後の小三太)が道場と次の間の仕切りになっている引き戸の前に立つ。なぜか野球帽をかぶっている。
 司会の立川談之助が口上を述べる。
「小さん一門の隠し芸というと、最後には必ず素っ裸のフルチンになるのでひんしゅくを買っておりますが、今回も御期待にこたえて小たかが裸になります。ただ脱ぐだけでは芸がないので、どれだけ早く裸になれますか、お目にかけます」
 小たかが引き戸の陰に隠れた。談之助の「ワン・ツー・スリー」の掛け声で小たかが一糸まとわぬ裸で現れた。とぼけた顔をしてイチモツを出し、野球帽だけかぶったままなのがなんともおかしい。


 小さん師匠はこういう馬鹿馬鹿しいことが大好きで、弟子が素っ裸になると喜んだらしい。


 米朝師匠の場合は、4月に一門で花見をする。「米朝よもやま噺」より。


(……)毎年、うちの一門は、京都の(安井)金比羅(宮)さんで開いている一門の勉強会(桂米朝落語研究会)の後、境内で夜桜見物をするんです。2ヶ月に1回開いているんで、4月の回がええ時期とぶつかるんですわ。
(中略)
 花見の後は、祗園のバーに行くことが多かったな。舞妓のころ、贔屓にしてた人がやってる店でね。彼女は踊りがうまくて、京舞の先代井上八千代はんが養女にくれ言うたほどやねん。その店に有名な女性歌手さんが来てた時もあった。その前でざこばが素っ裸になった。それから南光やとか、皆裸になるようになった。


 人間国宝は弟子の裸が好き、というわけでもなかろうが、弟子の裸を笑って見ていられるくらいの鷹揚な人だと弟子がのびのびと育つ、ということはあるかもしれない。


 なお、以上はあくまで落語界の人間国宝の話であります。
 友禅とか螺鈿細工の人間国宝が、弟子の素っ裸を大喜びでゲラゲラ笑う、なんてことはない(と思う)ので、誤解なきよう。


落語ファン倶楽部 Vol.4

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完本・突飛な芸人伝 (河出文庫)

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米朝よもやま噺

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