名前と大小

 名前には、大小が付く場合がある。女性の場合は、たいてい、「小」のほうのようで、小梅、小春、小糸といった具合。
「小」のほうが可愛らしい感じがするからだろうか。


 あの大柄な女優は、やはり、「小雪」だからいいのであって、あれが「大雪」では、今ほどの活躍はなかったろうと思う。


 男の場合は、大小どちらもある。大次郎、小次郎、大政、小政、大助、小助、まあ、女性の場合と同じく、いささか時代がかった印象があるけれども。


 男の場合は、「大」のパワフルさと、「小」の小気味よさ、両方あるのだろう。


 何で読んだのか忘れたが、落語家は「小」が付くからいいのだ、「大」ではどうもいけない、という話もある。


 なるほどそうで、「三遊亭大遊三」(さんゆうてい・だいゆうざ)、「春風亭大朝」(しゅんぷうてい・おおあさ)では、何か座りが悪い。


 桂米朝の息子は桂小米朝(かつら・こべいちょう)で、この秋に桂米團治(かつら・よねだんじ。米朝師匠の師匠の名前)を襲名することが決まっている。


 あの人も、やはり、小米朝だからいいのであって、いくら格を上げるためとはいえ、「桂大米朝」(かつら・だいべいちょう)を名乗るのは、いささか具合が悪いだろう。
 だからといって、ちょっと遠慮して、「桂中米朝」(かつら・ちゅうべいちょう)で止めておくというのも、中途半端である。


 もっとも、米朝師匠自身は業績の偉大な方なので、「桂大米朝」と呼ばれてもいいように思う。
 音楽方面の大バッハ、あるいは、ローマ方面の大スキピオ、文学方面の大デュマみたいなものですね(ただし、大デュマの「大」は単に父という意味らしい)。


 落語家の名前に「大」も「中」もないのは、なぜだろう。高座でまずは深々一礼し、道化て見せる立場だからだろうか。


 まあ、感覚的には、柳家小三治(やなぎや・こさんじ)だからしっくりくるのであって、「柳家大三治」(やなぎや・だいさんじ)なんていう人に出てこられても、客としては少々困った心持ちになる気はする。取り返しのつかないことになりそうだ。

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「今日の嘘八百」


嘘七百六十六 二世議員、三世議員に「襲名」の制度を設けるとよい。