世代の呼び方

 少し前に、どこがやったんだったか(相変わらず曖昧で申し訳ない。何しろ、脳味噌とやる気が曖昧なのだ)、「団塊の世代」を他の呼び方にするなら、何がいいかというアンケートがあった。


 ここにも書いた覚えがあるから、ちょっと調べれば、いつどこがやったかわかるんだろうが、面倒くさいのでよしておく。


 で、そのアンケートで1位になったのが、「ビートルズ世代」だそうだ。


 嘘つけ、である。


 いや、わたしが生まれるか生まれない頃の話だから、自分で体験したわけではない。


 ただ、団塊の世代の少し後に生まれた渋谷陽一が、何かに(また曖昧だ。申し訳ない、申し訳ない)、自分が中学・高校の頃、クラスにビートルズファンなんて、1人か2人くらいしかいなかった、と書いていたのを覚えている。おそらく、そんなところだろう。


 団塊の世代は、グループサウンズで失神していたのがせいぜいのところだろう。それとて、少数派だろうが。


団塊の世代」を言い換えるなら、「かたまりの世代」なんてのがいいと思う。これじゃ同じか。まあ、まとめて生まれてきたんだから、いいじゃないですか。


 団塊の世代の次の世代は、確か、「シラケ世代」と呼ばれていたはずだと思う。


 団塊の世代の人々が、熱き血潮を学園紛争でたぎらせて、「我々は、我々を、我々が、我々の、我々だ! 政治権力が、権力闘争で、人民が、団結して、立ち上がり、また座るのである!」などと青臭い議論を振り回し、その結果、大して何も変わらず、ほとんどの人が学校を出たら普通に就職してしまった。


 それを見ていた次の世代は、シラケてしまったんだそうだ。1970年代前半の話。


 この世代の人達は、今、五十代だ。相変わらず、シラケていてくれたら楽しいのだが、実社会というのは恐ろしいもので、大半の人がシラケずに真面目に働いているのだろう、と思う。下手すると、頑張りすらしているかもしれない。


 わたしの少し上の世代は「新人類」と呼ばれていた。
 新入社員として会社に入ってきたとき、上の世代からすると、何を考えているのかよくわからない。どうも行動が、それまでの常識や通念では判断しかねる、というところから「新人類」と呼ばれるようになった。


 1985年頃の新聞や週刊誌を読めば、やたらと叩かれているはずだ。


 かつての新人類の人々は、今、四十代半ばである。これまた、おそらく大半の人が旧人類側に吸収されてしまったろう。


 わたしの世代は、何と、ガンダム世代だそうで、ファンの人には申し訳ないが、わたしはこれがイヤでたまらない。


 そういうアニメがあるということは知っていたけれども、わたしがこれまでにガンダムを見た時間を総計しても、5分か、10分くらいだろう。それとて、たまたまテレビ番組で「懐かしの番組」として紹介されたのを総計したら、である。本編は見たことがない。


 友達とガンダムについて話した記憶もないし、ガンダムについて語る友達も別にいなかったと思う。


 おそらく、わたしに限らず、各世代、ひとくくりにされることに違和感を覚える人は多いはずだ。


 世代論というのは、たいていまあ、いい加減なもので、人は、世代に名前をつけることで、その世代を理解したような気になりたいだけなのだと思う。

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「今日の嘘八百」


嘘五百七十四 「二十四の瞳」に、ひとり座敷わらしが混じっていました。