赤めだか

 昨日、気分転換に立川談春の「赤めだか」を開いたら、気分が転換しすぎて、半分以上読んでしまった。
 夜中に目が覚め、寝つけないので、再び開いたら、ますます寝られなくなり、結局、最後まで読んでしまった。


 なので、今、これを、寝不足特有の頭がじんじんするような、ぽわぽわするような状態で書いている。


赤めだか

赤めだか


 落語家の立川談春が、高校を中退して立川談志の元に入門してから、二つ目(一応、一人立ちしたと見なされる身分)になるまでの四年間を中心に綴っている。
 といっても、落語に興味ない人でも楽しめる内容だと思う。


 談春はわたしと同い年らしい。ちなみに、わたしはマイク・タイソンとも同い年で、三浦カズとは同学年だ。


 同い年と聞くと、何やら、親近感が湧く。自分の年齢に置き換えて、考えてしまう。そうして、この人がこんなきつい思いで修行していたその同じ時間に、わたしはああやって屁をたれていたのか、と情けなくなる。


 こんな一節がある。


同級生が大学を卒業して社会人となる歳までに、前座修行を終えて落語家としての本当の意味でのスタートを切る。それが達成できなければ、きっぱりと落語家の道をあきらめよう。大学なんて皆遊びに行くところと思っていたから、四年間どう使おうが俺の勝手、学費を使わないだけでも親に感謝されるくらいのもんだ……と。


 ハイ、皆が遊びに行くかどうかはともかく、わたしは遊んでおりました。といっても、落語に出てくる若旦那みたいに積極的に遊びに入れあげたわけでもなく、ただふわふわと漂っていただけですが。親がしんどい目して払ってくれた学費は、馬鹿息子の手を素通りし、ほとんど大学への寄付金と化してしまいました。


 その頃、談春は、新聞配達して生活費を稼ぎながら前座の仕事を務めたり、談志の命令で魚河岸で働いたり、あっという間に噺を覚えてしまう弟弟子の出現に焦ったり、破門の不安に怯えたりと、密度の濃い日々を送っていたという。


「ハート・カクテル」とか言っていた、白ワインを水で割ったみたいな、あの秋元康じみた時代に。


 一方で、この本は、談春の、師匠・談志に対する恋物語でもある。


弟子は皆、談志に恋焦がれてはいる。断言してかまわないだろう。何故なら損得だけで付き合うには談志はあまりに毀誉褒貶が激しすぎる。離れて忘れた方が身のためと、実は誰もが一度は考える悪女のような人だが、それでも忘れきれない、思いきれない魅力がある。


 そうして、最後のほうで、談志の師匠である故・柳家小さん(五代目。談志はわけあって破門された)との一瞬の交錯が記される。


 それは、談志の、師匠・小さんに対する恋物語でもある。


 談志に恋した談春からすれば、自分が想う人の、かつての(あるいは今も続く)恋を知ったふうでもあり、父親の古い恋物語を知ったふうでもある。


 この章は、渋いのに、鮮やか。甘ったるくなく、苦みが効いていて、でもやっぱり、ほのかに甘い。話の運び方も上手くて、ヤラレタ、と思った。


 談春の高座は何度か見ているが、実はあまりピンと来たことがなかった。また見にいってみようと思う。

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「今日の嘘八百」


嘘七百六十八 若かりし頃の自分を破門したくなりました。