談志と志ん朝

 部屋を掃除したり、アイロンをかけたりするときはヘッドホンで落語を聞きながらのことが多い。

 落語の中では立川談志を一番よく聞く。ソフトが多く、演目もバラエティに富んでいて、いろいろとその時の気分、気分に合わせて選ぶことができる。

 時々は古今亭志ん朝も聞くのだが、いっとき、集中して聞きまくったせいで少し飽きてしまった。志ん朝には形が決まっているところがあって、それが志ん朝の芸の素晴らしさなのだが、その分、引き出しの多さでは談志に負けてしまうところがある。

 談志と志ん朝は同じ世代で、談志が落語協会を飛び出すまでは一緒の楽屋で過ごした仲間である。ライバルとされることもあるが、果たしてふたりにどこまでその意識があったか。芸の形が違いすぎるので、ライバルとは感じなかったんじゃないかとも思う。

 1980年代以降の談志は奔放に、その場、その場の即興で噺を組み立てていった。往々に評論めいたことや解説・分解も混じる。時には乱暴になってしまうこともあるが、その天衣無縫の語り口、内容がガツン、と来る。

 「居残り佐平次」を即興的にやった後で、よほどその日の出来が満足だったのだろう、「居残りをやらせてくれた今日、町田のお客さんに心から感謝します。ありがとうございました」と語っている録音がある。聴いていて、ぐっと来るものがあった。確かにこの「居残り佐平次」は凄みがあり、素晴らしい。

 一方の志ん朝はきちんと練り上げた芸で、歌うようなメロディとリズムで聞かせる。その場で創っていくという意味での即興の要素はほとんどない。以前に何かで志ん朝のノートを見たことがあるが、噺の語りとセリフがきっちりと書かれていて、まるで小説の原稿のようであった。その明るさ、華やかさは天性のもので、志ん朝が楽屋に入ってきただけで、その場がパーっと明るくなったという。談志が楽屋に入ってきたらどうだろう。緊張が走ったのではないか。

 たとえば、「愛宕山」を聞くと、志ん朝の明るさ、華やかさ、歌い調子の良さが主人公の太鼓持ちの一八(いっぱち)に乗り移ったかのようで、良い酒を飲んでいるときのようになんとも心持ちがよくなる。

 談志、志ん朝の親の世代は桂文楽古今亭志ん生である。文楽はきちっとしつつも明るい芸で、一方の志ん生にはその場その場で話を作っていく即興のデタラメな面白さがあった(三遊亭円生志ん生のことを「道場なら勝てるが、野試合では負ける」と評したそうだ)。志ん朝志ん生の息子だが、芸のタイプとしては文楽のきっちりしたほうを選んだ。一方、談志は志ん生に憧れていて、即興でやればいいのだ、その勢いこそが命だという考え方は志ん生から受け取ったんじゃないかと思う。この襷掛けになったところ、芸のクロスが談志と志ん朝の不思議なところであり、面白いところだと思う。

 ともあれ、聞いたことのない人は談志の「居残り佐平次」と志ん朝の「愛宕山」をぜひ。