おれは皮肉な性分で、皮肉な見方をしたり、皮肉を言ったりするのがほとんど習い性になっている。
皮肉というのはスパイスのようなもので、少量ならあれやこれやを素晴らしく美味しくするが、使いすぎるとぶちこわしてしまう。スパイスは全然平気という人もいれば、少しでもダメという人もいるように、皮肉に耐性がある人もいれば、ない人もいる。
古今亭志ん生が何かで「落語というのは人の裏へ、裏へと行くものだ」というようなことを言っていたが、皮肉も同じである。あれやこれやと人の裏を見るのが皮肉というもので、だからこそ、日頃は隠れていることが突然表に現れて、アハハハ、となる。あらためて考えると、落語は皮肉の芸能化かもしれない。
おれの知る限り、落語家で皮肉の上手い双璧は立川談志と古今亭志ん朝だ(志ん生は別次元)。
談志の皮肉でおれの好きなやつ。
「上品とは、欲望の表現がスローモーなやつ」
もっとも、談志の場合、皮肉な視線が凝り固まって、別次元のものになってしまった印象がある。その点、志ん朝の皮肉はとても素直で(素直な皮肉というのも妙ちきりんだが)、わかりやすい。
たとえば、志ん朝の「化け物使い」で、女ののっぺらぼうと出くわした隠居が凄まじい。全然動じない隠居に思わずのっぺらぼうがひるむ。その機をとらえて、隠居が言う。
「いいんだよ、目鼻なんかなくったって。なまじ目鼻がついてるせいで苦労している女は世間にいくらもいるんだ」
志ん朝の例の明るい口調で言ってのける。
あるいは、何の噺だったか、娘さんが年頃になると急にきれいになるというマクラ。え、あれが、というような娘さんでも花が開いたように急にきれいになる。そんな話をした後で、志ん朝はぽつっと言う。
「ただ、この時期が短い」
落語界の太陽というか、現れただけでぱーっとまわりを明るい心持ちにしたという志ん朝だが、それだけに時々ちらっと言う皮肉の効果が絶大だったんだろう。
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