昨日の続き、というわけでもないが、桃太郎の桃。
あれはいったい何なのだろうか。
女の腰のあたりのメタファーだというのはわかる(「メタファー」という言葉がわからない人は辞書を引くとよい。いっそうわからなくなって、暗澹たる心持ちに陥るであろう)。
しかし、桃は桃である。桃の木に生ったのであろう。
そうすると、花が受粉して、実が少しずつ大きくなる過程で、桃太郎も胎児の形をしていたのであろうか。
その時点で桃を採った人がいたら、割ってみて、奇々怪々。昔話というよりは怪異譚になったかもしれない。
いっそ、あの桃は腰や母のメタファーなんぞではなく、母そのものであった、と考えることもできる。
生んでも、我が子を育てられぬ悲しみ(なぜなら、桃だから)。
子を救いたい一心で、イチかバチか木から川へと落っこち、流されてみた。
そうして、洗濯していたお婆さんに拾われ、後は周知の通りだ。桃は割られ、桃太郎は救い出された。
母なる桃は、身を犠牲にして、桃太郎を世へ送り出したのである。
桃も、生まれた我が子をひと目見たかったであろう。声のひとつもかけたかったであろう。しかし、その望みはかなわなかった(なぜなら、桃だから)。
わたしは今、泣き濡れながら、これを書いております。
気づかぬうちにおそらくは日本で初めての帝王切開に成功したお爺さん、お婆さんは、その後、母なる桃をどうしたのだろう。
桃太郎に驚きながらも、やはり、その、く、食ったのか(な、なぜなら、桃だから)。
猟奇のほうへと話が流れ始めた。ここらでよしておく。
ん? もしかして、桃太郎は、桃の中で母の肉を食っていたのか? あわわわわ。
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「今日の嘘八百」
嘘四百六十六 お爺さんが桃にナタをたたき込むと、中で桃太郎が、ハシッ、と真剣白刃取りしていたという。