おじいさんおばあさん

 日本の昔話というと、なぜだか、おじいさん、おばあさんがやたらと出てくる。


 いや、やたらと出てくるといっても、ひとつの話におじいさん、おばあさんが五、六十人出てくるというわけではない。老人会の観光バスが停まったんじゃないんだから。


 外国の昔話はよく知らないが、グリム童話にしろ、イソップ物語にしろ、日本のものほど甚だしくおじいさん、おばあさんに占拠されてはいない(と思う)。


 その他の欧米の昔話、あるいは、アジア、アフリカ、南米、中米、あちこちの島々の昔話についてはほとんど知らないので、何とも言えないのだが。


 ともあれ、日本の昔話だが、なぜ、おじいさん、おばあさんなのだろう。


 頭のいい人達の議論だと、「聖性」とかなんとか、その手の言葉が出てきそうだが、そういうムツカしい言葉を目にすると、わたしの頭は自動的に停止するようにできている。
 なので、残念ながら、高尚な話を期待されても困る。


 まあ、「おじさんは山へ芝刈りに、おばさんは川へ洗濯に」では、しっくり来ないのは確かだ。
 あるいは、「こぶとりおじさん」なんて、「小太りおじさん」と間違えそうである。


「花咲じいさん」も、おじいさんだからいいのであって、オッサンが枯れ木に花を咲かせるという設定では、自分のことを面白いと勘違いしているオヤジのようで、どうもイヤだ。


 しっくり来ないからには、何か理由がありそうだが。


 枯れた感じがいいのだろうか。
 静かで、ちょっと寂しい枯れ木に、幸福が訪れて、ぽっと新芽が吹き出るようなふう。


 梅見の感覚なのかねえ。

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「今日の嘘八百」


嘘四百六十五 ヘマなおじいさんだったので、竹をかぐや姫の首ごと切るし、桃太郎は縦にまっぷたつに切り裂くし、後始末が大変だったという。