とりあえず謝っておく

 昨日の午前中は、家で仕事をしていた。
 首都圏の自動改札機に不具合が起き、乗客全員フリーパスだったと知ったのは、午後になってからである。


 惜しいことをした。知っていれば、アホみたいにあちこち出かけたのに。


 夜、電車に乗ると、車内の液晶モニターに「本日は自動改札機の故障で大変ご迷惑をおかけしました」というような表示が出ていた。


 んー、乗客は電車にただ乗りできたんだから、全然迷惑してないと思うんだが。
 むしろ、「もっとちょくちょく故障してくれると助かるんだが」と考えた人も多かったんではないか。


 だいたい、電車方面は謝りすぎるきらいがある。


 何かの加減で電車が2、3分遅れただけでも、車掌が「お急ぎのところ、大変ご迷惑おかけいたしました」などとアナウンスする。


 あれを聞く度に「いや、そんなにお急ぎではないからなあ」とか、「2、3分程度で『大変ご迷惑』は大げさすぎるよなあ」とか思う。
 大げさに謝られると、かえって馬鹿にされたような気になることもある。


 車掌に「あんまり大げさに謝るな」と文句をつけたらどうなるのだろう。「ああ、それは大変申し訳ございません!」と、また大げさに謝られたりして。


「とりあえず謝っておく」というのは、これは日本の文化だ。注意していると、電車、店、会社の受付、電話口、あっちこっちで謝っている。


 いい悪いは別である。時折、勘違いしている人がいるけれども、文化だからといって必ず素晴らしいということはない。
 立ち小便や、「とりあえずビール2、3本」調の曖昧な物言いだって、同じく文化である。傾向や行動パターン、条件づけされた反応、みたいなことだ。


 とりあえず謝っておく、といえば、企業トップによる謝罪会見というのも、ここ十年くらいで、やたらと増えた気がする。「今週の謝罪」というテレビ番組でも作って、まとめて見せたらどうか、と思うくらいだ。


 型通りに全員で同じ秒数、頭を下げながら「部下や出入り業者のミスなのに、なぜこの私が謝らねばならぬのか」と釈然としない様子の人もいたりして、なかなかそれぞれに味わいの違いがある。


 嵐山光三郎が、謝罪会見の写真を集めた本を作る、と聞いたこともある。
 今、実際に進めているのか、それとも座談の戯れで言っただけなのか知らないが、上手く編集すれば、意地悪くも面白い本になるのではないか。


 わたしが特に印象深く覚えているのは、三菱自動車の外国人社長の謝罪会見だ。欠陥車で事故が起きたり、リコール隠しがバレたりしたときのやつ。


 原因が、その社長が三菱自動車に来る前の話だったこともあり、いかにも日本風の頭の下げ方をしている外国人社長の姿が哀れであった。
 一方で、わたしの中に巣くっているイヤラしい攘夷根性を刺激して、一種の暗い喜びも感じた。


 ともあれ、こんなにやたらと謝る社会というのも、他になかなかないのではないか。


 反省せずにとりあえず謝っておくのと、内心悪いと思っていながら謝らないのと、どっちがいいのだろうか。


 答は――「ケース・バイ・ケース」である。アハハ。あいまいな日本の私。これも文化だ。参ったか。

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「今日の嘘八百」


嘘五百六十二 謝罪会見に世間がだいぶ慣れてしまったので、記者クラブでは土下座の導入も視野に入れている。