傍若無人

 人間が小さくて申し訳ない、という話。


 さる落語の会に行ったら、最初の噺の途中で、隣の席に男が来た。


 三十代くらいだろうか、堅太りで顔は鈴木ヒロミツに似ている。


 いきなり嫌いになる相手というのがいて、こやつがそうだった。ウマが合わないというのだろうか、妙に癪にさわる(鈴木ヒロミツが嫌いだったわけではないが)。


 リュックを背負っている。


 おれ(今日の主語は、おれ、だ)は、リュックを背負っている人間にあまりいい印象を持っていない。
 満員電車の中で傍若無人に背負っている阿呆がいるせいだ。ただでさえ窮屈なのに、そんなもので厚みを増すな! と思う。てめえは楽かもしらんが、まわりはおかげで迷惑だ。


 ――いやね、電車の中ではちゃんと下ろしている人もいるんだろうが、下ろさないやつへの悪感情が先に立つのです。
 

 古来、我が国において、電車の中でリュックを背負っていいのは、こういう人物だけである。



 ランニングシャツに半ズボンはもちろんだが、コウモリ傘もほしいところだ。


 鈴木ヒロミツが席にどさり、と座った。高座では二つ目が噺をしている。
 ヒロミツはリュックを開けて、何やらごそごそ。そのうち、入り口で渡されたチラシの類を見始めた。


“あのなー、高座で噺をしているんだから、まずは聞いたらどうだ”と思う。失礼だろう。


 チラシを見終わったと思ったら、鼻をふん、ふん、と鳴らしながら、椅子の中で体の位置を変える。
 シートのベストポジションを探しているのだろうか。その度に、足が前の席にゴツゴツ当たる。前の席の女性がちらちら振り返るが、鈴木ヒロミツは無頓着でいる。


 次の高座に、その日のメインアクトが出てきた。渋いが涼やかでいい噺を始めた。


 と、今度は鈴木ヒロミツの後ろの席の男が、ビニール袋をガサガサ言わせ始めた。本屋なんかでもらう厚手のビニール袋だ。うるさい。


 別に何をしているというわけでもなく、手が当たったり、体をちょっと動かしたりするたびに、膝の上のビニール袋がガサガサ言うらしい。静かな噺なので、やけに耳につく。


 文句言おうかと思ったが、高座ではいい場面をやっている。まわりに水を差すのもイヤなら、神経質に見られるのもイヤだ。


 面白いことに、鈴木ヒロミツも、後ろの男がガサガサ言わせる度に、気にしている。そうして、自分は平気で前の席にゴツゴツ足をぶつける。
 自分は傍若無人でも、他からの迷惑には傍若無人でいられないようだ。


 鈴木ヒロミツや、後ろのガサガサ男のような輩を、東京の人間なら「イナカモン」と呼ぶのだろう。


 田舎の人や、田舎出の人は怒ってはいけない。
 おそらく、江戸や明治・大正の頃、江戸(東京)と江戸以外の土地の文化は今以上に隔たっていて、江戸の流儀をわきまえないで平気で行動する者を「イナカモン」と呼んだのだろう。それを敷衍して、恥知らずの人間を「イナカモン」と呼ぶのだと思う。


 休憩時間にガサガサ男に「あんまりガサガサ……」と言ったら、「あ、すみません!」と驚いたような顔で謝った。二十代前半の坊主頭の男だった。


 次の噺では、ガサガサ言わさなくなったが、変に気が立ってしまった。


 傍若無人、傍若、傍ラニ人無キガ若シ。ばかたれが。

                  • -


「今日の嘘八百」


嘘七百八十三 桃太郎侍の友達に、浦島太郎侍という、腰蓑つけて、特に何の役にも立たないジジイがいるそうだ。