洞爺湖サミットのテーマとして環境問題がクローズアップされているせいで、にわかにエコエコうるさくなっているようだ。
最近、このページの夏休み絵日記化が進んでいるが、ご容赦いただきたい。そのココロは、逃避である。
エコ、というのは、元を正せばエコロジーから来ているのだろう。
エコロジー、すなわち生態環境のことで、例の食うの食われるのというキビしい勝負を繰り返しながらも、自然は決定的にバランスが崩れ去ることはない、というイメージがある。そしてイヌワシだけが残った、などということは、普通、ない、とされる。
で、どうも最近なんかヤバいなー、という直感から、人間もその仲間に入れてよ、いろいろ迷惑かけてきたけどサ、全体のバランス保つようにこれから頑張るから、ね、ね、お願い、というにわか信心が湧き起こり、あれやこれやと玉突きしているうちに、環境問題対策全般をエコエコ呼ぶようになったのだと思う。
しかしですね。言葉というのは、もうちっとちゃんと使ったほうがいいんじゃないか、と思うこともある。
例えば、広告で見かけた、さる雑誌の特集タイトル。
こころもエコ。からだもエコ。
何じゃ、そりゃ。
流れに乗るのも、ほどほどにしたらどうかと思う。
イヌワシが怒り出すよ。知らんけど。
まあ、このところのエコエコはサミット故のエコ景気で、すぐに静かになるんだろうけど。
いや、斜に構えているわけではありません。元々、世の中というのは斜めにできているのであります。
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「今日の嘘八百」
嘘七百八十四 沖縄、北海道と来て、次のサミットは戸越銀座あたりでどうか。