土曜に自動車の広告やカタログの文章は、どれもよく似ているという話を書いた。セダンやスポーツタイプのクルマの宣伝文には、自分に酔うような、独特のクセがある。読むと、わたしはちょっと気恥ずかしくなる。
ジャンルは桂馬飛びするが、サッカーについての記事にも独特のクセがあるようだ。大仰で、ドラマチックで、もってまわったような言い方を好む。
例えば、NumberのEuro 2008特集から、いくつかの記事の出だしを抜き書きしてみよう。
ユーロ2008決勝の舞台へと駒を進めたのは、雷雨のウィーンに舞った小さなフゴーネス(創造者)たちだった。
品種改良を重ね、ついに最高傑作のオレンジが実ったかに思われたが、その甘い果実はロシアからやってきた白熊にあっさりと飲み込まれてしまった。こんなにも早く天国から地獄に落ちたオランダの姿を、誰が予想できただろう。
ミュンヘン郊外、ミルバーツホーフェンに建つトルコ人パブ「兄弟」は、その日、大勢のトルコ男に埋め尽くされたが、ほとんど盛り上がらなかった。(中略)男たちは時折、横目で戦況を見やり、トルコの劣勢を確認すると、ふたたびゲームにのめり込んだ。朦々と吐き出される紫煙の中で、テーブルにカードを叩きつける音だけが響く。
私は今、この原稿をタイ王国の首都、バンコクで書いている。私の書斎の窓越しに、人口700万超を数えるアジアの大都市バンコクが広がっている。地平線の先までビルディングのジャングルが続く。
ああ、すみません、最後のは辻仁成センセイの広告用エッセイでした。
辻センセイの名前の後には、いつもなぜか(笑)を付けたくなるのですが、単にわたしの悪意のせいかもしれません(ところで、バンコクに地平線なんてあるんでしょうか)。
ゴテゴテしたサッカー記事は、ヨーロッパの記者の手になるものに多い。日本の記者の文章にも時折ゴテゴテした表現が見られるが、ヨーロッパの記事からの影響だろう。大げさに言えば、“文化の伝搬”ということかもしれない。
この手の、サッカーにまつわる大仰さ、もってまわったこねくりぶりというのは昔からあるようで、モンティ・パイソンの初期のコントに、サッカー選手をテレビ・スタジオに呼んでインタビューする、というものがある。
気取った“高級”な言葉遣いの質問に、頭の中が“シンプル”な選手はついていけない。
司会(エリック・アイドル)「ジミー、昨夜は地中海式守備の巧妙な触手をすり抜けて、英国サッカーの極意を見せつける活躍で、みな脱帽したよ」
選手(ジョン・クリーズ)「……(司会の言葉が難しすぎて、反応できないでいる)。こんばんは、ブライアン」
司会「相手があれほど早く中央の譲渡に甘んじると思ってた?」
選手「……。あの……。ブティックを出すんだ(うれしそう)」
司会「あれはサッカーの様式に新時代を約する徴候だよね」
選手「……。こんばんは、ブライアン」
司会「新たな概念によってイタリアの守備を解体しえた感想は?」
選手「……。蹴ったら、ゴールに入った」
1969年の作品。ありとあらゆるものを茶化さずにはいられない、モンティ・パイソンらしいコントだと思う。
実際、選手にしてみれば、「蹴ったら、入った」というだけのことも多いのだろう。
ムービーがあった。
次のは、わたしの好きなモンティ・パイソンのコント。
ドイツ近代哲学チーム対ギリシャ古代哲学チームのサッカーの試合。ドイツ近代哲学チームはカント、ヘーゲル、ショーペンハウエルらに加え、思い切ってベッケンバウアーを起用し、メディアを驚かせる。メンバー表を見たところ、ニーチェとハイデッガーの2トップだろうか。
主審は中立国から孔子。ニーチェの「論語には自由意志がない!」という抗議にイエロー・カードを突きつける。
途中投入される、カール・マルクスの戦闘的な姿勢にも注目だ。
最後はアルキメデスが「ユーレカ!(そうか、わかったぞ!)」と叫んで……。
見ているうちに、サッカー記事のことなんてどうでもよくなった。
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