可愛らしい話

 今日は可愛らしい話。


「人間臨終図巻」(徳間書店)は山田風太郎がさまざまな歴史上の人物の末期をまとめたもので、わたしの愛読書だ。
 次の文章は、第3巻(ISBN:4198606129。文庫は、ISBN:9784198915117)の「グリム・弟」の項より。


 ウィルヘルムの最後の年、八歳ぐらいの女の子がグリムの家のベルを鳴らした。七十四歳の老ヤーコプが逢うと、「おもしろいお話をお書きになったのはおじさまですか」と、少女はいった。「そうです。私と弟が書いたのです」とヤーコプが答えると、「それじゃ『利口な仕立屋』のお話をお書きになったのね。おしまいに、このお話をほんとと思わないひとは、1ターラー(銀貨)払いなさい、と書いてあるお話よ」と、少女はいった。「それは弟が書いたのです」とヤーコプはいって、弟のウィルヘルムのところへ連れていった。少女はグリム童話集の中の『利口な仕立屋』を朗読し、「このお話はほんとうとは思えないわ。だからあたしは、おじさまに1ターラーを払わなくちゃなりません。でも、あたし、そんなにお小遣いをもらえないから、一ぺんに払えません。きょう1グロッシェン(銅貨)だけ払います」と、小さい財布から銅貨を出して、ウィルヘルムにおしつけて帰っていった。(高橋健二『グリム兄弟』より)


 わたしは今、少女の純真さに、滂沱のごとく涙を流しつつ、これを書いている。涙で曇って、画面がよく見えない。


 しかし、ヨヨと泣き崩れながら、頭の片隅で、「純真とは馬鹿のことであろうか」とか、「家を出てから少女が舌を出して、『計算通りの反応ね』とつぶやいたらイヤだろうなあ」とか、「集まっている友達のところへ行って、『ウィルヘルムは、やっぱり泣いたわ。あたしの勝ちね』と5グロッシェンせしめたりして」とか考えているんだから、すっかり汚れちまったぜ、オレはもう。


 いったい、どこで間違ってしまったのか。

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「今日の嘘八百」


嘘四百六十四 「利口な仕立屋」を出版すると、グリム兄弟の家には銀貨がじゃんじゃん投げ込まれたという。