駕籠

 落語を聞いたり、時代劇を見たりして、いつもよくわからないのが、駕籠という乗り物だ。


 あれ、乗っていて楽なのだろうか。


 ご存じのように、駕籠というのは、人が乗る籠や箱の上に棒を通したというか、棒に籠や箱をぶら下げたというか、そういう形をしている。
 この棒の前後を2人の人間が担いで、エッホエッホと運ぶ。急ぐときは「三枚」と言って、3人で担ぐこともあったそうだ。


 人間が担いで運ぶわけだから、相当、揺れそうである。
 落語では、乗りながら居眠りする、なんて話が出たりするけれども、あんな揺れるものの中で眠れるものなのか。下手すると、転がり落ちそうだ。


 日本で、人が乗る馬車が発達しなかったのも不思議だ。
 平安の頃には牛車なんていうのんきな乗り物もあったのだから、馬車だって登場しても不思議ではないが、なぜか出てこない。


 日本は山がちで、坂が多く、馬車に向かないのだろうか。


 海外の昔のことはよく知らないが、日本の駕籠に似た乗り物をあまり見た覚えがない。いや、東南アジアにそんなようなものがあったかな……。


 中国はもっぱら、輿だと思う。日本にも「玉の輿」という言葉があるから、乗り物としてはあったんだろうが、時代劇やなんかにはあまり出てこないようだ。
 もし駕籠が日本にしかないものなのだとしたら、人間の思いつくことなんざどこでも大して変わらないだろうに、不思議なことである。


 どこでだったか、大名駕籠の現物を見たことがあるが、案外、小さなもので、中は、天井から短い綱がぶら下がっていた。
 その綱につかまって、あちこちにぶつかったり、落っこちたりしないようにしたのだと思う。


 考えてみれば、窮屈で間抜けな乗り物である。
 歩くか、戸板にでも横たわって運ばれたほうがよほど楽なように思うのだが。もっとも、戸板で運ばれて吉原に繰り込む、なんていうのはあんまりいい形ではない。


 江戸時代の参勤交代では、お殿様は駕籠に乗って、国と江戸の間を往復したようだ。
 例えば、九州から江戸まで、日中、ずっと駕籠の中で綱に捕まって運ばれる、なんていうのは、難行苦行の類だったのではないか。


 もっとも、江戸時代のお殿様というのは、駕籠に限らず、一生、あれやこれやの窮屈な中で暮らしていて、窮屈を窮屈であると知らなかったのかもしれないが。まあ、殿様なんて、あんまりいい商売ではない。

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「今日の嘘八百」


嘘四百三十五 封建社会に閉所恐怖症の人はいない。