歴史と講談

 NHKが不定期に「歴史秘話ヒストリア」という番組をやっていて、キャッチフレーズは「歴史を作るのは1%の大事件と、99%の秘話」だそうである。


 違うだろう。


 惹句(そのココロは1%の嘘と、99%の誇張だ)とはいえ、いい加減な態度だと思う。いい加減なわたしが言うのだから、間違いない。まあ、いい加減に書いているのだが。バカモン!!


 思わず、殿山泰司節が入ってしまったが、まあ、そういうことである。どういことだッ!!


「歴史を作るのは階級間の生産関係である」などと物凄いことを言い出すつもりはないが、「歴史を作るのは1%の大事件と、99%の秘話」とも思えない。「歴史番組を作るのは1%の大事件と、99%の秘話」というのなら、まあ、わからぬでもないが。


 今晩の「歴史秘話ヒストリア」の内容を、新聞のテレビ欄から引用してみよう。


篤姫”の殿様たちの秘密の物語▽町娘に恋 血の弾圧と美女スパイ 蒸気船開発


 コレデ果タシテ歴史ヲ理解シタコトニナルノデアロウカ? と疑問に思うものでアリマス。


 こういうのは、歴史のオハナシ的理解だと思う。
 講談の荒木又右衛門の三十六番斬りを持ち出して歴史を語ってはいかんのと同じで、この手の番組や史伝のふりをした小説をもとに歴史を語るのもどうかと思う。


 講談は面白い。しかし、ああいうのはファンタジー世界に浸る楽しさであって、童話や民話の楽しさと同じだと思う。
 この手の歴史番組や、歴史小説も同じ楽しさだろう。いや、なまじ実話(とされるもの)を織り込むだけに、“理解した”気にさせてしまいがちで、罪が深い。何がわかっていないか、どこがあやふやかは言わないから、ますます罪を重ねる。ああジャン・バルジャン


 血肉のある歴史を、ということなのかもしれないが、例えば、江戸時代の三百石取りの侍が月々、折々にどのような費えを必要としたかとか、江戸城に登城した大名達が1日何をしていたかとか、そのお付きの者達が何をして時間を使っていたかとか、そんなことすらわたしは、あるいはおそらくたいていの人は知らない。


 歴史とは何かとか、歴史という現にドコンとあるのにぼうとしたものをどう取り扱ったらいいのかとか、考え出すと、わがノウズイはただでさえゆるい回転を止めてしまうのだが、しかし、よくわからないからといって、単純な見方でヨシとするのは愚かだとは思う。


 初手から間違った取り組み方をすれば、間違った結論しか出てこないだろうと思う。

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「今日の嘘八百」


嘘七百九十六 面白くないものは歴史ではないのだッ!!