夜中にふと目が覚めて、眠るでもなく、起きるでもなく、ぼんやりと物思いにふけるようなときがあると思う。
昨晩がそうだった。ベッドに横たわったまま、ぼうっといろいろな思いがよぎるのを眺めていた。
そうして、だんだんと考えが焦点を絞っていき、輪郭の表れたテーマがこれだった。
「ニワトリ」。
我ながら、どういう頭の回路のつながり方をしているのかと思う。
もう少しこう、遠くへ行ってしまったあの女(ひと)とか、小指の思い出とか、着てはもらえぬセーターを寒さこらえて五十着とか、慕情方面へ行けないものか。
ま、しかし、ニワトリについて考えてしまったのだから、しょうがない。
人間に身近な動物の中で、ニワトリほど、狂的なやつはいないと思う。
かろうじて対抗できるとしたら、猿くらいではないか。
動物に注ぐ人間のウェットな情愛の深さを、順に並べると、こんなところだろう。
犬>馬>猫>豚>羊>ウサギ>猿>ニワトリ
いや、個人差はだいぶあるだろうし、羊とウサギに注ぐ情愛の深さを比べるのも難しい。
が、まあ、おおよそのランクとしてはさほど間違っていないと思う。
例えば、「フランダースの犬」というのは、パトラッシュが犬だから泣けるわけであって、あれが「フランダースの鶏」だったら、かなり厳しいことになると思う。
「パトラッシュ、僕は見たんだよ。一番見たかったルーベンスの二枚の絵を。だから僕はすごく幸せなんだよ」
「クワーッ、コッコッコッコ」
「パトラッシュ、疲れたろう。僕も疲れたんだ。何だかとても眠いんだ。パトラッシュ……」
「クワーッ、コッコッコッコ。クワーッ、コッコ。コケ、コケーッ」
やかましいったら、ありゃしない。
別にニワトリが鳥だから情愛が注がれない、というわけでもないだろう。例えば、オウムやインコ、文鳥、ジュウシマツを可愛がっている人も多い。
ニワトリは、人間が注ごうとする情愛をハナから相手にしないほどドライであり、時に戦闘的であり(小学校のとき、ニワトリ小屋で追い回された苦い記憶がある)、突き抜けてエキセントリックなのだ。
キングコングとか、ヤマタノオロチとか、児雷也のガマガエルとか、人間には、動物が巨大化したらどうなるだろう、と想像してみる癖(へき)がある。
しかし、知らないけれど、まだニワトリをそのまま巨大化したストーリーというのはないのではないか。
何しろ、あんなやつが怪獣と化したら、困る。
「クワーッ、コッコッコッコ」と歩き回り、エサ(人間、ということになるのだろうなあ)をついばみ、意味もなくはばたくけれど飛ぶわけでもなく、ビルの間をただただ忙しく徘徊するのだ。
ウルトラマンだって、目の前で、ポン、と卵を産まれたら、困るんじゃないかと思う。
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「今日の嘘八百」
嘘百 あと、六百か。