インターナショナル・ブシドー先生

 道の脇の木の下で、ひとりの紳士が町人とおぼしき男に何やら説いている。


 紳士は古ぼけた背広を着て、立派な口髭、丸眼鏡。ピンと背筋を伸ばして立っている。
 町人とおぼしき男は痩せた顔に出っ歯。大きな石に大儀そうに腰掛けている。
 ふたりは旧知ではなく、たまたま旅の途中で知り合ったようである。


新渡戸五千円先生(以下、先生) 優美は力の経済を意味するとの言が果して真であれば、その論理的結果として、優雅なる作法の絶えざる実行は力の予備と蓄積をもたらすに違いない。典雅なる作法は、それ故に、休息状態における力を意味する。
三助 (?)へえ。
先生 蛮族ゴール人がローマを荒して会議中の元老員に闖入し、尊敬すべき元老たちの髭を引っ張るの無礼を敢えてした時、元老たちの態度が威厳と力とを欠いたことは非難に値すると思われる。
三助 (五千円先生の口髭を引っ張るが、先生は我慢している)
先生 しからば高き精神的境地は、礼儀作法によってじっさい到達しうるであろうか。何でできないことがあろう――すべての道はローマに通ずる!
三助 わっ。きゅ、急にでかい声出さないでくださいよ。
先生 最も簡単なる事でも一の芸術となり、しかして精神修養となりうるかの一例として、私は茶の湯を挙げよう。芸術としての喫茶! 何の笑うべきことがあろうか?
三助 え? いや、別に笑っちゃいませんよ(今の、何か可笑しいのかね?)。
(中略)
先生 一人の妙齢の婦人が敵に捕えられ、荒武者の手により暴行の危険に陥りし時、戦によって散り散りになりし姉妹にまず一筆認むることを許されるならば、彼らの意に従おうと申し出た。
三助 お、いいですねえ。そういう話、好き、好き。
先生 手紙を書き終った彼女は手近の井戸に走り、身を投じて彼女の名誉を救った。
三助 何だ。ちっ。
先生 残された文の端に一首の歌があった、


    世にへなばよしなき雲もおほひなん
      いざ入りてまし山の端の月


三助 ???
先生 男性的なることのみが我が国女性の最高理想であったとの観念をあなたに与えることは公平でない。
三助 うちのカアちゃん、強いけどねえ。もう、憎たらしいのなんのって。
先生 大いにしからず!
三助 わっ。


 驚いた三助は、呆れて、立ち去ってしまう。
 代わりに昭和こいる師匠がやってきて、石に座る。


先生 武士道は最初はエリートの光栄として始まったが、時をふるにしたがい国民全般の渇仰および霊感となった。
こいる師匠 へいへいへいへいへい。
先生 しかして平民は武士の道徳的高さにまでは達しえなかったけれども、「大和魂」は遂に島帝国の民族精神を表現するに至った。
こいる師匠 そうかそうかそうかそうか。よかったよかったよかった。
先生 名誉の巌の上に建てられ、名誉によりて防備せられたる国家――これを名誉国家、もしくはカーライルに倣いて英雄国家と称すべきか?――は、屁理屈の武器をもって武装せる三百代言の法律家や饒舌の政治家の掌中に落ちつつある。
こいる師匠 そういうもんだそういうもんだそういうもんだ。
先生 一人の大思想家がテレーサおよびアンティゴーネについて述ぶるに際し「彼らの熱烈なる行為を生みたる環境は永久に去った」と言える語は、また武士に移して適切であろう。
こいる師匠 適切だ適切だ適切だ適切だ。
先生 悲しいかな武士の徳! 悲しいかな武士の誇り!
こいる師匠 へーっ、はーっ、ほーっ、ひーっ。
先生 鉦太鼓の響きをもって世に迎え入れられし道徳は、「将軍たち王たちの去る」とともに消え行かんとする運命にある!
こいる師匠 しょうがねしょうがねしょうがねしょうがね。


 三助が戻ってくる。


三助 先生、そろそろ、その自慢話終わったかね?


新渡戸稲造「武士道」(岩波文庫)を極めて無責任に加筆修正)


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「今日の嘘八百」


嘘百一 遺伝子を組み替えてみたら、刺した蚊がころっと死ぬようになった。