集中力

 わたしが集中力について語るなんぞ、ちゃんちゃらおかしいのだが、書き始めてしまったのだから、仕方がない。


 スポーツには、いろいろといい瞬間がある。
 わたしの最近のお気に入りの言葉なのだが、パンチとガッツ。このふたつでどばどばどばっ、と行くのもいいし、両者のパンチとガッツがかちあって、乱闘になるのも素敵にダイナマイトだ。


 野球やサッカーの乱闘に対して、「子供への教育上〜」というような“良識”的意見を吐く人がいるが、バカタレ、あんな面白いものをなぜ批判するのか、と思う。
 子供だって馬鹿ではないのだ。のべつまくなしにあんなことをやっているわけではなく、特別な瞬間であることくらい、すぐわかる。


 だいたい、それこそ良識派パパママの好む“みんなの心がひとつになって”殴り合い、蹴飛ばし合う乱闘のコーフンを知らないまま、大人になっていいものか(い、いや、別にいいのかな?)。


 えーと、乱闘について書こうとしていたわけではなかった。集中力だ、集中力。


 スポーツにおける集中というのは、心のまわりはコーフンしているけれども、心の芯はシンと静まりかえって(ダジャレだ。スマン)、全身のコントロールが完璧にきき、いろいろなもの、状況が、あるがままに見える状態ではないか、と想像する。


 最近の例で言えば、トリノでの、荒川静香のフリーの演技が、そんな状態だったのだろうと思う。


 なんでてめえにそんなことがわかるのだ、と言うなかれ。わたしの、スルドくも、いっこう役に立った試しのない霊感の故だ。


 特別に能力の高いスポーツ選手は集中が非常に高まり、「ゾーンに入る」ことがあるそうだ。


 野球なら、ボールが止まって見えるとか、ポールが巨大に見えるとか、そういうやつ。


 もっとも、これは野球のバッターだからいいのであって、ピッチャーが、自分の投げたボールが止まって見えたり、サッカー選手が、飛んでくるボールが直径2mくらいに見えたりするのは、マズいだろう。非常な不安に襲われるに違いない。
 あるいは、バッターがゾーンに入りすぎて、ボールが待てど暮らせど自分の手元に来なかったり。


 実はわたしも、書いていて集中が高まり、ゾーンに入る瞬間がある。
 キーボードを打つ手が止まってしまったり、やんなきゃいけない仕事が巨大になってしまったり。ああ、はれ、いかんともしがたい。


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「今日の嘘八百」


嘘八十二 こんにちは。ロック歌手の稲本です。