俳句は、元々、五七五で詠み、中に季語をひとつ入れる、という形で始まったのだと思う(本当のところは知らない)。
五七五というのがひとつのポイントで、これさえ守れば、何となく俳句っぽくなる。
座卓にて 日記を書いてる 僕なのさ
だから何なのだ、と怒ってはいけない。季語がないじゃないか、という文句も聞き流す。
なぜなら、ブリリアントでコンビニエントなシティ・ライフを送っているわたしの頭からは、季語なんぞとっさに出てこないからだ。
俳句の練習法に、日常生活で見たものを、とにかく手当たりしだいに五七五にしてしまうというのがあるらしい。
テーブルの 上はなんだか 紙だらけ
パワフルだ ガスファンヒーター 暖かい
おとといの 新聞広がる 畳だよ
どうもこう、生活のだらしなさがバレてしまうが、ひたすら五七五的態度で暮らす、というのが、ひとつの手なのだそうだ。
ただし、こればっかりやっていると、会社の会議や商談でも、ついつい五七調で喋ってしまい、怪しげな眼で見られてしまうそうだ。
まあ、風雅に生きると決めたのであるならば、それもまたよし、とすべきなのかもしれない。