欽ちゃんの時代

 かつて、テレビには「欽ちゃんの時代」とでもいうべき時期があった。70年代後半から80年代初めくらいまでだろうか。


 若い世代には、実感としてわからないだろうと思う。


 1998年の長野オリンピックの閉会式で、スケート選手でもないのに滑りまくり、気球でもないのに浮きまくった欽ちゃん(あれは本人の責任というより、起用したほうに問題があると思う)。


 あのあたりから覚えている人には、欽ちゃんがテレビを制していた時代があったとは信じられないかもしれない。


 しかし、確かに欽ちゃんの時代はあった。ゴールデンタイムに複数の番組を持ち、軒並み高視聴率を稼いでいた。


 そうして、わたしは、何が面白かったのか、さっぱり思い出せないのだ。


 ドリフターズについて懐かしそうに振り返る人はいても、黄金時代の欽ちゃんについて懐かしそうに振り返る人には会ったことがない。


 なぜだろうか。


 ひとつには、萩本欽一が、おそらくは意図的に毒を薄めた番組作りをしていたからかもしれない。


 コント55号で人気が出だした頃の欽ちゃんは相当、毒のある芸風だったらしい。
 小林信彦が60年代終わりのコント55号について書いている。


 彼らのコントのおかしさは、筆で表現しようもないが、たとえば、眠っている坂上を叩き起こした萩本が、
萩本「あの、失礼ですが」
坂上「はいはい」
萩本「ジャイアント馬場大鵬では、どちらが強いでしょうか?」
坂上「さあ……大鵬でしょうかねえ」
萩本「そうですか」
 といったやりとりのあとで、萩本が、
「あなたは眠いので、適当な返事をしたのでしょう?」
 とか、
「あなたの眼に、私の質問をうるさがる色が浮んだ」
 とか、しつこく、イビる。


(「日本の喜劇人」小林信彦著、新潮文庫より)


 スルドい、毒の強い笑いだなあ、と思う。
 しかし、こういうスルドさ、毒の強さというのは、ゴールデンタイムのレギュラー番組では持たないようにも思う。


 長くなりそうだ。ちょっと一息。