欽ちゃんの時代2

 毒の強さを嫌う人は多い。
 長期安定路線を歩もうとして、萩本欽一は、強い毒よりも、安心感、安定感のほうを取ったのではないか。


 そうして、安心感、安定感というのはマンネリと紙一重というか、境界線が曖昧で入り交じったものだと思う。


 タモリの「笑っていいとも」に、似たことを感じる。


「笑っていいとも」も相当、毒が薄い。元々、毒が強い芸風だったという点でも、欽ちゃんとタモリは似ている。


 おそらく、ふたりとも意図的に毒を薄めたのだろう。
 そうして、マンネリは許すけれども、飽き飽きしない程度に抑えるため、時々、レギュラー陣を入れ替えたり、新しいレギュラーを付け加えたりするのだと思う。


 もうひとつ、欽ちゃんとタモリの共通点がある。
 自分の番組を、何度も鑑賞できるような作品とは、考えていない点だ。極端にいえば、放送時間を過ぎれば番組の内容は忘れられてもかまわない、と考えている。


 高田文夫が「欽ちゃんのドーンとやってみよう」についてこう書いている。


 はがき一枚もって地方にロケに行って、地元のおばあちゃんをつかまえて「おばあちゃん、こういう小ばなしがあるんだよ」ってはがきを読んで、おばあちゃんが笑うか笑わないかだけ見てる。また、『欽ちゃんのドーンと〜』っていうタイトルを言わせて、失敗したNGまで見せちゃうという、あれは非常にテレビ的でしたよね。
 欽ちゃんが最初にやったんじゃないかな、町のなかにカメラをもっていって、ドキュメントするという手法は。
(中略)
 あのときの萩本さんて天才でしたね。生理として、テレビというものを非常によくわかっていた。萩本欽一こそがテレビそのものでしたね。


(「江戸前で笑いたい」高田文夫編、中公文庫)


 テレビでは、放送しているときに、画面で何事かドタバタ起きている、ということが大事なのだ。そのドタバタは、何度見ても楽しめるものである必要はない。


 あくまで想像だが、かつての欽ちゃんの番組は、今DVDか何かで見ても、さほど面白くないだろうと思う。なぜなら、そのとき限りのものとして構成されていたからだ。
 何度も何度も、スタッフがうんざりするほどリハーサルを重ねたというドリフターズの「全員集合」とは対照的だ。


 だから、ドリフターズの「全員集合」について語りたい人はいても、欽ちゃんの番組について語りたい人はあまりいないのだと思う。


 そうして、この考えが正しいなら、タモリの「笑っていいとも」も、終了して何年か経つと、「何が面白かったのかさっぱりわからない」、「なんであんなに人気があったのだろう?」と言われるようになるだろう。