前にも書いた覚えがあるが――というフレーズを、やたらと書いている覚えもあるのだが、お許しいただきたい。そうそう新しいネタなんてないのだ。
もっとも、「おまえは何書いたって、大して変わりばえしない」と言われれば、はあ、どうもシィマセン、と謝るほかない。
八代目桂文楽、古今亭志ん生というと、昭和二十年代、三十年代に名人と言われた人達で、今でもCDが売れているそうだ。
もちろん、わたしもCDでしか知らない。
このふたり、落語家の川柳の会「鹿連会」というのに参加していた。
桂文楽の句。
春の宵 妾同志で のんでいる
ちとトラの 妾 旦那が酌をする
いいなあ、と思う。情景が目に浮かぶようだ。
艶っぽくて、いい。こういうのを洒脱というんじゃなかろうか。
「妾」という言葉は今では死語に近い。
しかし、どちらの句も「妾」だからいいわけで、これが現代風に「愛人」となると、
春の宵 愛人同志で のんでいる
なぜか剣呑なふうになる。旦那を薬でコロす相談でもしていそうだ。
妾という言葉はなぜ消えたのだろうか。前時代的だからか、男尊女卑のにおいがするからか。こういうのは、とにかく社会党がいかんのだろう。知らんけど。
一方の古今亭志ん生の川柳。
ビフテキで 酒を呑むのは忙しい
干物ではさんまは鰺にかなわない
落語では、瞬発的なギャグのパンチ力で敵なしの志ん生師匠だが、川柳のほうにはトボけたおかしさがある。
わたしが気に入っている句。
借りのある人が湯ぶねの中にいる
もちろん、内風呂ではなく、銭湯である。妙におかしい。
次のはバカバカしくって、いい。
恵比須さま 鯛を逃して 夜にげをし
「川柳鹿連会例会記録」というガリ版刷りの小冊子に載っているらしい。この本、手に入れたいんだけど、難しいだろうなあ。
(引用は、玉置宏「現代ライバル論2 志ん生と文楽」、『江戸前で笑いたい』所収、高田文夫編、中公文庫、ISBN:4122038936。「干物では〜」と「借りのある〜」は、「名人 志ん生、そして志ん朝」、小林信彦著、文春文庫、ISBN:9784167256197)
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「今日の嘘八百」
嘘四百六十 源氏物語の研究者が女子学生に文を送ってみたら、大学側から注意されたそうだ。