心霊GO お地蔵GO

 ポケモンGOが一種、社会現象になっている。もしかしたら、昭和三十年代の(おれは実体験してないけど)ダッコちゃんブーム以来の騒ぎなんではないか。知らんけど。
 それでまあ、例によって無駄なことを考えるのが習い性であるおれであるからして、「心霊GO」というアプリはどうか、と思いついた。さまざまなスポットをへめぐると、その地にゆかりの心霊がスマホの画面に現れるのだ。今はマンションの下になっている恨みをのんで死んだ女性とか、アパートで首吊り自殺した学生とか、ホテルの変死者とか。あるいは一見平穏に見える辻々にも、過去を坂述べれた意外な恐ろしい記憶が残っていたりするものだ、知らんけど。
 問題はその心霊達を集めて何をするか、だが、ポケモンのように戦わせるというのはどうなんだろう。恨みの度合いとか、この世への未練の強さが戦いの基準になるのか。どうもピンと来ない。ま、いいか。
 あるいは、お地蔵GOというのはどうか。道を歩いていると、お地蔵様やお稲荷様、小さな祠なんかを見かけることがある。あちこちスマホをかざすと、そういう小さな仏様や神様がカリカチュア化されて映るのだ。もちろん、目の前には本物のお地蔵様やなんかがあるんだから、無駄にも思える。しかし、たいがいああいうものは意識からスルーされて、どういうわけだか、スマホに映ると注意を引く。
 目の前に本物があり、スマホにそのカリカチュア化された像が出て本物への注意を引くんだから、現実的仮想現実、リアル・バーチャル・リアリティとでも呼ぶべきか。ともあれ、妙な時代である。