愛知県の美浜町と南知多町が合併を目指しているのだそうだ。
それ自体は、今、日本のあちこちで起きていることのひとつなのだが、両町の法定合併協議会が、市の名前をこんなふうにすると決めたという。
私は、これを初めて見たとき、なぜだか困ってしまった。
どうして困ったのかは、自分でもよくわからない。
気恥ずかしさも、もちろん、ある。しかし、ストレートに気恥ずかしいだけでなく、他の感覚も混じっている。
あえていえば、クルマで田舎の少々退屈な風景のバイパスを走っていて、ピンク色の「お菓子の家」みたいな一戸建て住宅を見かけたときの感覚に、似ているかもしれない。
「何となく困った感」、略して、ナンコマ感とでもいうか。
南セントレア市に決めた経緯は、こうだそうだ。
・asahi.com「中部国際空港の南の新市、名は『南セントレア市』に」
今度できる中部国際空港の愛称「セントレア」にあやかったのだそうだ。川崎市が「南ビッグバード市」と改名するようなものか。
けれども、私は、そもそも、中部国際空港にセントレアという愛称があることすら、知らなかった。
セントレアという名称自体が普及せず、E電の二の舞になったら、空港も新市も、共倒れの危険がある。というか、「そして、ナンコマ感だけが残った」という事態になりかねない。
記事にある、委員から出たこの案は凄い。
お前はヤンキーか。
引っかかったのは、南セントレア市に「全会一致で決めた」という点だ。
私は、以前からこの「全会一致で決める」というやり方がどうも気に入らない。というか、疑惑のマナザシを送っている。
少々、形式的な話をすれば、多数決というのは、「決」である以上、多数になった案に、少数に投票した者も従う、ということだろう。たとえ、不服はあっても。それが暗黙の了解というか、筋ってもんである。
全会一致で決める、というのは、少数意見の人に、「今後、私はこの件に関して蒸し返したり、ブータレたりしません」という誓約をさせる作業だろう。ヤクザの手打ちで、間に入った大親分が「おう。この件についちゃ、お前ら、これから文句言うんじゃねえぞ」と念を押すのと、あまり変わらない。
これは、実は多数決という手段を信頼していない証拠で、なーにが戦後民主主義だ、と思うのだ。
まあ、それが日本流民主主義、ということなのかもしれないが、私はヤだね、全員揃って、血判状に指紋を押すなんていうのは。
南セントレア市に全会一致させられながらも、ナンコマ感が消えないであろう少数派の委員の方々には、同情申し上げる。
それにしても、南セントレア市、である。地名も、もはや大規模複合集合住宅開発感覚に飲み込まれたか。「品川まで30分! アーバンライフ、自然、アメニティが出会う街。南セントレア美浜」。まあ、そんなところである。
実用性の点で、住民も困りそうだ。
「どちらにお住まいで」
「あの(なぜか、ちょっと赤面する)、南セントリ、セントラ、センタレ、あれ? その、ほら、あれです。えーと、昔の南知多」
と、そんな会話も出るだろう。外来語があまり得意でないお年寄りは、自分の住んでいる市名を言ったり、書いたりできなくなるんじゃないか。
まあ、これから、住民の反対とか、あちこちからの失笑で、結論が簡単にひっくり返りそうな気もするけど。
そうなったら、全会一致の立場がない。ザマーミロだ。
まだひっくり返ってないけど。