テレビ業界(モニターを作っている電器方面ではなくて、「〜ちゃん、今度、コレ、ちょうだい」と親指と小指を立てて耳に当てたがるほうの業界)では、ロケを終わり、機材を片づけて帰ることを、「撤収」と呼ぶらしい。
ディレクターか、誰か現場の責任者が「それじゃ、撤収!」と声をかけると、わーっと機材をまとめてクルマに放り込み、ちょっとでもグズグズしたADやアシスタント・カメラマンの尻は蹴り飛ばされ、バスに乗り込んで、「んじゃ、ヤマちゃん(運転手の名前)、やっちゃって」の一言で、現場から一目散に逃走するのだろう。
テレビのロケ現場をきちんと見たことはないから、実際のところは知らない。が、38年間生き延びているうちに、私の頭の中でなぜだか勝手に「そういうものなのだ」という像ができてしまった。
「撤収」が、他の業界でどのくらい普及している言葉なのかは知らない。
たとえば、幕張メッセや東京ビッグサイトで見本市が終わり、各ブースを片づけるとき、「撤収」はどの程度で、「片づけ」はどの程度で、「引き上げ」はどの程度使われるのか? 業界によって、どのくらい違うものなのか?
私は知らないが、特に興味もないのであった。
今、130文字ほど無駄にしたが、全体、この日記自体が無駄のカタマリなので、かまわずに行く。
私はこの「撤収」という言葉を、なかなか気に入っている。
ADの尻が蹴飛ばされる大急ぎ感もいいが、何より、後には何も残らない感覚が好きだ。
撤収して、ヤマちゃん運転によるバスが去る。
わずかな砂埃が地面に戻ると、そこでつい先ほどまで起きていたことは、跡形もなく消えている。あるのは、何かこう、わずかな虚しさを帯びた、白茶けた空気のみ。
そんな感覚が、「撤収」という言葉にはある。
「片づけ」とも、「引き上げ」とも、「撤退」とも違う。
「片づけ」、「引き上げ」にはだらだらした感じがある。「ま、テキトーに」という、ゆるゆるした空気がそこには満ちている。
見本市会場なら、コードを巻く手を少々休め、昼間、自販機の前でたまたま世間話した隣のブースのちょっと可愛い女子社員と、携帯の番号を交換できそうである。
「撤退」という言葉からは、「負け」のにおいがする。
「米IBMがPC事業から撤退」
と書かれると、米IBMは失敗したのだ、というふうに捉えがちだ。「撤退」が「敗退」をにおわせるからだろう。
これを、
「米IBMはPC事業から撤収」
とでもすれば、いくらか敗北感を軽くできる。好意的に見れば、素早い経営判断、と捉えられないこともない。
しかし、米IBMにロケバスのヤマちゃんはいない。やっぱり、撤退は撤退なのだろう。
私の知り合いのカメラマンも、よく「撤収」という言葉を使う。
撮影現場には、たいてい本人だけが来るか、せいぜいアシスタントをひとり連れてくるだけだ。
そして、終わると、
「それじゃ、撤収します!」
と高らかに宣言し、手早く機材をまとめて、去っていく。
その去りっぷりはなかなかカッコよく、「見事な撤収ぶりだ」と、私はいつも感心するのである。