トンバ氏とわたし

 生年月日で判断する占いがある。西洋の占星術がそうだし、中国系の占いにもあったと思う。


 あれ、同じ日に生まれた人は、似たような運命をたどったり、待ち人が来なかったり、同じ方角で探し物が見つかったりするのだろうか。


 最近、知ったのだが、わたしはアルベルト・トンバTRFのボーカルの人と同じ日に生まれた。誕生日だけでなく、生年も一緒だ。


 TRFのボーカルの人は、まあ、どうでもいい。問題は、アルベルト・トンバだ。


 トンバはもう引退したが、アルペンスキー界のスーパースター。華やかで派手好き。爆弾男と呼ばれた。ちなみに、わたしは線香花火男。
 わたしと同じ運命で大丈夫だろうか。何だか、心配になってくる。


 トンバの経歴とわたしのそれとを比べてみよう。


[1966年]
トンバ氏とイナモトが生まれる。おお、一致した。
トンバ氏はイタリアのボローニャ近郊の生まれ。イナモトは日本の富山市生まれ。


[1981年]
トンバ氏、ジュニアスキー世界選手権4位。国内のパラレルスラローム大会でシニアの選手達をさしおいて優勝。
イナモト、中学3年(たぶん、これもトンバ氏と一致する)。県で最も弱いハンドボール部に所属し、県で最も強いハンドボール部と対戦。確か、0-40くらいのスコアで敗れた。


[1983年]
トンバ氏、プロ・スキーヤーに。
イナモト、高校2年。三角関数で頭がウニになった。冴えない。初めてデートしたのはこの年だったかなあ……。テープレコーダー2台を使ったピンポン録音で、作曲にはげんだ。ピアノを弾きながら奇声を発していたので、家族からキチガイ扱いされた。


[1986年]
トンバ氏、ワールドカップで表彰台に昇る。
イナモト、大学2年。大学のサークルで、毎日、何となくベースを弾いていた。


[1987年]
トンバ氏、世界選手権で銅メダル。ワールドカップで初勝利ステンマルク(懐かしいねえ)も破り、この年、9勝を挙げる。
イナモト、大学3年。文化人類学のコースに進むも、やる気まるでナシ。ほとんど授業に出ず。


[1988年]
トンバ氏、カルガリーオリンピックで2つの金メダル。
イナモト、大学4年。何となく就職活動して、何となくさる企業に決めた。決めた理由は、「いろいろ回るの、面倒くさかったから」。


[1992年]
トンバ氏、アルベールビルオリンピックで金と銀。ワールドカップで優勝9回、2位4回、3位2回。
イナモト、最初の企業は後ろ足で砂をかけるようにして、1年で辞め(1990年)、この頃は2番目の企業で雑誌の編集をやっていた。


[1994年]
トンバ氏、リレハンメルオリンピックで銀メダル。
イナモト、特に何もナシ。


[1995年]
トンバ氏、ワールドカップで総合優勝。
イナモト、特に何もナシ。


[1996年]
トンバ氏、世界選手権で2つの金メダル。
イナモト、2つめの会社を辞めたのがこの年だったかなあ。フリー・ライターになった。仕事は少なかった。


[1998年]
トンバ氏、長野オリンピックでメダルなし。引退を決意。
イナモト、内臓がバイ菌に侵されて、1ヶ月入院。この日記を書き始める。


[2006年]
トンバ氏、トリノオリンピック聖火ランナーを務める。
イナモト、相変わらずやる気まるでナシ。


 まあ、こうやって見てくると、何となく重なって見えるのは、1998年のトンバ氏の引退とわたしの入院くらいではないか。そこらへん、占いとしてはどうなのだろう。


 わたしのラッキーカラーがピンクの日は、トンバ氏のラッキーカラーもピンクなのかしらん。


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「今日の嘘八百」


嘘百十九 ま、おれはB.C.1966年の生まれだけど。