けんねんもん

 日本語の口語には、最後、「ん」で終わる言い方が多い。そうして、恐るべきことに、「ん」の前にどんな音が来るかで、その人の生まれ育ちや物事への基本姿勢がわかってしまうのである。


 たとえば、


  ぶっ飛ばすけん。


 と来れば、雄々しい。広島あたりで育ったものと推測され、菅原文太兄貴の顔が思い浮かぶのである。


  ぶっ飛ばすねん。


 なら、大阪近辺であろう。「どついたるねん」というもっと強烈な言い方もあって、映画のタイトルにもなっているが、まあ、上につく言葉まで変えるのはやめておこう。


  ぶっ飛ばすやん。


 は、関西方面で軽い同意を求めたり、相手との距離をちょっと縮めようとする言い回しだ。なぜにぶっ飛ばすことに同意を求めるのかはわからないが。


  ぶっ飛ばすじゃん。


 というのは元々、横浜の方言だったようだが、今では関東を中心に広く使われるようになった。


 ダメダメなものもある。


  ぶっ飛ばすもん。


 こんな話し方をするやつとは友達になりたくない。南こうせつ調ぬるま湯的“やさしさ”を、私はそこに感じるのである。


 なんだかわけのわからないのもあって、


  ぶっ飛ばすよん。


 ふざけているのだろうか。しかし、クールな悪役が、拳で手のひらをピタピタ叩きながらこういうセリフを吐くと、かえって怖い気がする。


  ぶっ飛ばすわん。


 となると、最後にハートマークを付けたくなってくる。お色気路線である。


 ここまであげた中で、私はやはり「けん」が最も好きである。地の上にひとり立つ男の誇りというものが感じられるからだ。
 しかし、「けん」は男らしすぎて、少々、扱いに困る場合もある。


  キティちゃんが大好きだけん。
  シュークリームに目がないけん。


 いや、もちろん、人の好きずきであり、何を主張しようと勝手なのだが、文太兄貴の顔が頭をかすめるせいか、なるべくならそういうセリフを聞きたくない、と思うのである。


 NHKの番組をもじって、こんなのはどうだろうか。


  ひとりでできるけん。


 度胸だけを武器に生きてきた不器用な男が、強い決意のもと、初めてお料理に挑戦するのだ。そこに、私はなぜか、かすかな涙ぐましさを感じるのである。


 いっそ、単身赴任のオトーサン向けに、番組化したらどうだろうか。「ひとりでできるけん」。料理だ、洗濯だ、掃除だ、という家事の要領を、あくまで雄々しく教えていくのだ。
 オトーサンには、どこか「昔はおれもワルだった」と思いたい心理がある。「家庭的」に染まりきりたくない心情もあるから、結構、受けると思うのだけどな。


▲一番上の日記へ