妄想姫

 義太夫は、古い言葉や言い回しが出てきて、ぼんやりしていると筋がわからなくなることがある。なので、今回はあらかじめ床本(シナリオ)を読んでから見にいった。


 芝居を見ているときはすんなり見てしまうが(頭がパーになっているのだろう)、床本を読むと、なかなかに奇なることというのもある。


 昼の部の「本朝廿四孝」の主人公、八重垣姫がそうで、これがとんでもないお姫様なのだ。


 筋がややこしいのだが、八重垣姫は長尾謙信(上杉謙信)の娘で、武田信玄の息子の、武田勝頼と許嫁の仲(もちろん、架空の話)。
 勝頼は故あって下々に身をやつしており、偽の勝頼が故あって身替わりに切腹し、本物の勝頼は故あって長尾謙信の館に花作りの蓑作と称して潜り込む。故だらけだが、そういうお話なのだ。


 八重垣姫は婚約者の勝頼が切腹したと思い込んでおり、勝頼を描いた絵像を部屋に掛け、引き籠もっている。


 以下、引用文は八重垣姫のセリフを現代語訳したもの(文責、おれ)。


 八重垣姫が絵像に向かって、泣きくどく。


こんな殿御と添い臥すことができるとは、姫御前の幸せと、月にも花にも楽しみとしていたのに(中略)名画の力があるならば、可愛いとたった一言の、お声が聞きたい、聞きたい。


「こんな殿御と添い臥しの」と、姫は表現がダイレクトである。なお、八重垣姫は勝頼本人とは会ったことがない。あくまで絵像を見て、恋している。想像している。


 そこに、勝頼そっくりの蓑作(本物の勝頼)が現れる。蓑作と、腰元の濡衣が話すのを聞いて、八重垣姫は濡衣に「知った人か」と尋ねる。
 濡衣が、わし、知らんけんしゅたいん(そんな言い方はしない)、と答えると、


イヤ、隠すなや、今の素振り、忍ぶ恋路というような、愛する仲かいの。


 と、姫はジェラシー。
 濡衣が慌てて否定すると、


知った人でもなく、あなたの男でもないなら、どうぞ今からわたくしを、可愛がってくださるよう、押しつけですが、仲立ちお願いします、濡衣様。


 このお姫様、相当、積極的なのである。
 なお、この時点ではまだ蓑作が本物の勝頼とはわかっていない。会ってから、おそらく、五分か十分程度。実に素早い。明治時代なら、「いやあ、八重垣クンは発展家だからねえ」などと、扇子をパタパタさせながら評されたかもしれない。


 でもって、ちょっとしたことがあって、蓑作がどうやら勝頼らしいとわかってくる。しかし、蓑作は言い寄る姫を拒絶する。


 この後が凄い。


いかにお顔が似ているといっても、恋しいと思う勝頼様、そもそも見間違うことがありましょうか。(中略)連れ添う私に何を遠慮、こうこうとご事情を明かして、得心させてくださいな。それも叶わぬなら、いっそ、殺して、殺して。


 と、蓑作の脇差し取って、いきなり死のうとする。さっき会ったばかりなのに。アレヨアレヨ、である。
 濡衣が取り押さえると、


イヤ、イヤ。放して、殺してください。勝頼様でもない人に、戯れ言いって、恥ずかしい。心の穢れ、絵像に言い訳、どうしても生きてはいられません。


 異常に感情の起伏が激しく、素早い姫なのである。行動は、もっぱら自分の事情優先。まわりはついていくのが大変だろう。


 繰り返すが、この場面まで、八重垣姫は生身の勝頼に会ったことがない。毎日、絵像の勝頼に恋していたのである。


 まあ、しかし、こういう女性は実際にいる(男にもだが)。
 自分の頭の中だけで想像がどんどんふくらんで、本人にしかわからない、のっぴきならない状態になっている。そうして、いざ行動に出るときは、暴発としかいいようのない挙に出て、まわりを慌てさせる。


 お姫様というのは、あまり外の世界に触れることのない、一種の引き籠もりの状態だから、頭の中だけに自分の世界ができあがる、ということは、いかにもありそうだ。


 この後、勝頼は使いに出た先で殺されそうになる。
 窮地を知った八重垣姫は、諏訪法性の兜の神通力を得て、狐に守られながら、勝頼の元へと飛んでいく。これまた、やることが激しく、素早い。


 結局、勝頼と八重垣姫は結ばれるらしいが、勝頼、これから苦労しそうだなー、とわたしは思うのである。