武蔵川理事長の地味な改革

 日本相撲協会で、不祥事が重なって引責辞任した北の湖理事長に代わって、武蔵川親方が理事長に就任した。


 新理事長としての最初の改革は、


立合いのとき、ちゃんと両手をつく。


 というものであった。


 何とも地味な改革である。
 しかし、これで相撲が面白くなったのだから、面白い。


 思わず面白いの二段重ねになってしまったが、実際、面白いのである。あ、三段重ねだ。


 本来、相撲の立合いは、両者がまず片手を土俵につき、呼吸を合わせてもう片方の手をついた瞬間に立ってよし、となる。
 このルールが厳格に守られるかどうかは時代によって違うようだが、最近はナアナアになっており、手を“つこうとする感じ”くらいで立っていたようだ。両者の何となくの呼吸で立っていたのだろう。


 それを、武蔵川理事長が、「ちゃんと両手をつくように」と指示した。今場所は、ちゃんと手をつかずに勝負が始まると、勝負審判がやり直しを命じるときもある。
 改革と言うより、正確には、本来のルールを守るように戻したと言うべきかもしれない。


 武蔵川理事長がどこまで計算したのかはわからないが、見る側としては、立合いの緊迫感が増したように思う。


 両者が手をついて立つ瞬間を、相撲の勝負のスタートとするならば、スタート時点が明確化することによって、いつ始まるのか、というハラハラ感が生まれた(取り戻した、と言うべきか)。
 陸上の短距離走や競泳では、スタートの合図が鳴る直前、息を呑むような緊迫感が生まれる。あれに似た感覚を相撲でも味わえるようになった。


 最初に片手をつくあたりから、その緊迫感は始まる。
 たいていは両者同時か、番付が下の力士が先につくようだ。後からつく側は、時に何かを狙っているようにも、迷っているようにも見える。見ていて、“ん? 何かあるのか?”と、ここが1つめのスリルになる。まあ、このスリルは今までの立合いにもあった。


 その後、両者の両手をつくタイミングが合うか合わないか、という2つめのスリルがある。短距離走や競泳の、フライングの不安に似ている。
 両者が、相手の手の動きを凝視する。タイミングを図るこの緊迫感。


 そうして、立合い。
 厳密に両者の手をつくタイミングが同じとは限らず、一方が十分の一秒単位か百分の一秒単位で遅れることもある。


 相撲はしばしば立合いで勝負が決まると言われるけれども、そのことが見ていてよくわかるようになった。
 わずかでも先手を取った側は、いい位置のまわしを取ったり、突きを先に繰り出して相手の上体を起こしたり、横に変化したりと、有利な体勢に持ち込むことができる。


 手をついた瞬間に猛進する力士や(普通は有利になるが、相手が横に動いて交わされることもある)、わずかに遅れたせいで受け身になってしまう力士もいて、勝負の綾も増えたように思う。あるいは、見ていてわかりやすくなったということだろうか。


 また、立って、ぶつかる瞬間を厳密にすることによって、百何十kgの、肉の塊同士が激突する爆発力を、より強く感じ取れるようになったと思う。いい立合いのぶつかり合いには、肉塊をまな板に叩きつけるような快感がある。


 ところで、土俵の仕切り線の下あたりにマイクを仕掛けることってできないかしらん? 力士がぶつかる瞬間の音や、ドスドス鳴る足の音を間近で捉えてテレビで流したら、迫力あると思うのだけど。
 武蔵川理事長、どうでしょう?