電気羊

 1982年に亡くなったSF作家のフィリップ・K・ディックは、映画「ブレードランナー」の原作者として知られている。


 原題は「アンドロイドは電気羊の夢を見るか(Do Androids Dream of Electric Sheep?)」で、「ブレードランナー」よりずっとイカしたタイトルだと思うが、映画の興行面から考えると、ややこし過ぎたのかもしれない。
 なんつーか、「アンドロイドは〜」では、アメリカ中西部のフツーの高校生が映画館に見にいかなそうじゃないですか。知らんけど。


 ディックは、他にいくつもイカしたタイトルを生み出している。
 「高い城の男」、「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」、「流れよ我が涙、と警官は言った」――なんとなく、読んでみたくなってきませんか?
 そうでもない? ア、ソウ。


 私がディックを読んだのはだいぶ前のことなのでウロ覚えだが、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」はアンドロイドの人間性(変な言い方だけど)が大きなテーマになっていたと記憶している。
 人間が羊の夢を見ることがあるならば、人間に似せたロボットであるアンドロイドは電気羊(羊のアンドロイド)の夢を見るのか? という捻ったタイトルだ。


 私は以前にこれをもじって、


「クローン人間はクローン羊の夢を見るか」


 というタイトルを考えたことがある。確か、世界最初のクローン羊ドリーが死んだときで、この日記にも書いたと思う。
 思いついたときはウヒョヒョヒョヒョと悦に入ったものだが、今、見直すと、ディックのセンスに全然及ばない。ストレートで、わかりやすすぎる。


 悔しいので、別のものはできないか、考えてみた。


「真面目人間は真面目な羊の夢を見るか」


 これは、明らかにダメだ。語呂が悪いし、だいたい、不真面目な羊というのがいるとしたら、どういうのを指すのか。さっぱりわからない。


「会社人間は羊会議の夢を見るか」


 なかなかいいかな。ノイローゼ気味っぽくて。


「“SEVEN”の主人公は“羊たちの沈黙”の夢を見るか」


 猟奇のダブルパンチ。猟奇2。眠って、悪夢。起きても、悪夢だ。あんな事件には巻き込まれたくない。


「シチュー鍋はメリーさんの羊の夢を見るか」


 残酷である。でも、結局は食うのだ。羊を。人間は。煮たり、焼いたり、揚げたりして。


 レストランに入って、メニューに「メリーさんの羊のポトフ」と書いてあったら、なんとなく嫌ですね。他の羊は平気で食うのに。勝手なものだ。


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