選挙カー的な民主主義に意味があるのか?

 統一地方選挙選挙カーがとてもうるさかった。「うるさい」という言葉は「五月蝿い」とも書くが、ぴったりである。

 区議会議員、市議会議員は国政選挙に対して1選挙区あたりの候補者がとても多いから、繰り出す選挙カーも必然的に多くなる。五月蝿いわけである。

 世の中には職業などの関係で、昼に眠らざるを得ない人も多いわけで、たとえば夜勤の看護師さんやおまわりさん、警備員さんなどは大変に迷惑であろう。

 選挙カーに疑問を覚える人は多いようで、NHKの取材では(50人程度などので統計とは言えないが)、必要:必要ないが1:4だったそうだ。

 選挙カーが候補者の名前とせいぜい短いスローガン(たいがいが抽象的すぎて、だから何だ調になってしまう)を連呼するだけなのは、公職選挙法で、選挙カーでは連呼することしか認められていないせいだそうだ。謎の規定ではある。もっとも、選挙カーは走りすぎるだけだから、長々しい演説をやったって、一部分しか届かないが。

 おれは選挙カーを日本の選挙の害悪だと思っている。選挙のうえで選挙カーによる連呼に効果があるかどうかについては両論あるらしい。もし選挙カーに効果がないのなら、お金がかかるだけ無駄である。一方、効果があるとしても、有権者にただ名前をすり込むような選挙に、あるいはそんな民主主義に意味があるのか? と思う。

 不思議なのは、政治家の間で選挙カーを禁止しようという話を聞いたことがないことだ。候補者がきちんと政策を訴えて、それに基づいて有権者が判断する、というのが民主主義の原型の考え方だとしたら、選挙カーはそれとは全く反対のやり方である。それでもって「政治には金がかかる」などとうそぶいているのだから、何をか言わんやだ。自分が当選すると、コトの当否より、成功したやり方を変えたくないという心理が働くのだろうか。

 候補者の政策なり訴えなりは、選挙公報政見放送を見ればだいたいわかる。選挙カー公職選挙法で禁止するとよい。おれが政権握ったら、速攻で禁止するね。予定はないけど。