選挙の宣伝 だから何なのだ

 町を歩いていると、よく選挙の宣伝ポスターに出くわす。たいていは立候補者の名前に「誠実と実行」とか「〇〇区に市民の力」みたいなどうでもいいようなコピー、それにちいさめの文字で候補者の多少の売りが書いてある。

 でもって、その多少の売りのところにこの手の文句が載っていることがある。

 

二児の母

 

 見かける度に、だから何なのだ、と思う。

 いや、意図はわかるよ。二児の母であるからして、二児の母的な生活目線で政策を提案したり賛成反対したりする、と言いたいのだろう。

 しかしまあ、二児の母的な生活目線で政治をやっていいのかというとすこぶる疑問である。政治の世界というのは、おれもそんなによく知っているわけではないが、いろんな事情の突き合わせであろう。その中で何を選び取るか、それをどうまわりに影響させていくか、ということが重要なのであって、二児の母的な生活目線にこだわられても困るのだ。

 政策提案の点では、もしかすると二児の母的的な生活目線も役に立つことがあるかもしれない。しかし、それを言い出せば、四十代独身男性のシングルライフ目線だって必要かもしれないし、二十代結婚は今いちまだ気が進まない目線だって必要かもしれないし、七十代三児五人の孫の祖父ちゃん祖母ちゃん目線だって必要かもしれない。

 いっそのこと、

 

十五児の母

 

 くらいまで行ってくれれば、オ、と思うのだが。

 まあ、うがったことを言うと、「二児の母」というのは投票者のうちの何割かに親しみを持ってもらおうという、言ってみればあざとい手口でもあるのだろう。少々いらやしくもある。

 おれはこの手の売り文句を書く候補者には投票しないことにしている。

 もうひとつ、この手の売りの文句でこんなのもある。

 

若さの34歳!

 

 これまた、だから何なのだ、である。こういうのにもおれは投票しない。

 若いからガンガン働ける、活動的だ、古いしがらみにとらわれずに斬新なことをどんどんできる、という「イメージ」を打ち出したいのだろう。

 しかしまあ、政治の世界というのはそう簡単ではなくて、若いやつ、あるいは当選回数の少ないやつは下働き的なことをさせられるというのがおおかたの流れであって、若いからガンガンいける、ということはこと政治の世界ではあまりないようである。ガンガンいきたいなら、起業でもしなさい。

 それにこやつ、政治の世界で自分が四十代、五十代になったらどうするのだろう。・・・まあ、黙って「若さの34歳」を引っ込めるんだろうなあ。

 どうせなら歳をとってもつっぱり続けて、そのうち、

 

老骨の78歳!

 

 とでも打ち出してくれれば、面白みもあるのだが。

 浅はかなイメージ戦術に走るなよ、政策とそのための活動をちゃんとやってくれよ、子供が何人いようが、何歳だろうが関係ないぜ、と、おれは思う。