幕末の志士と現代のムスリム戦士

 昨晩、ぼんやりとNHK大河ドラマについて考えていて、ムスリム戦士に思い至った。これだけ書くと、なんだかわけがわからないが、こういうことだ。

 大河ドラマでは何年かに一度、幕末物が制作される。たいていは幕末に活躍した人たちを好意的に描く。その中にはしばしば脱藩した「志士」と呼ばれる人たちがいて、現代にまで続く社会の礎になったとして、立派な人たちである、という捉え方がされる。

 志士の「志」というのはおそらくだが、何かこう、世の中はこのままではいかん、という信念、あるいは焦り、熱であって、その熱に浮かされて、自分が帰属する社会、すなわち藩から飛び出したのだろう。

 これ、欧米からアルカイダ系のグループやISなどに参加した欧米のムスリムの若者と同じじゃないか、と思い至ったのだ。

 日本では、彼らのことは一般にはあまり好意的に捉えられていない。テロや戦闘のイメージが大きいせいで、怖いという印象が先に立つ。欧米には住んだことがないのでニュアンスはわからないけれども、おそらく欧米の国々でも怖い、得体の知れない、あるいは無茶なやつらという捉え方は多いだろうと想像する。

 おそらくそうした見方は、幕末の普通の人々の、脱藩者に対するものと似ているんじゃないかと思うのだ。実際、京の町では随分と殺し合いがあり、それはテロそのものだったろう。為政者の中には彼らを憎悪する者、あるいはうまく利用しようとする者もいただろう。現代と変わらない。

 正義や信念は人それぞれによって違う。

 百年後の司馬遼太郎みたいな作家が現代のムスリム戦士、あるいはその一党を書いたらどうなるだろう。「ビン・ラディンがゆく」なんていう快活な読み物になったりして。