海外

 ご案内の通り、我が国は嘉永六年にペリーの黒船来航に腰を抜かし、わーわーと大騒ぎのうちにわずか十年余りで御一新を迎え、西欧派遣団がヨーロッパで再び腰を抜かして、ざんぎり頭を叩きながら文明開化の世となり、御雇外国人を迎え入れたり、決死の覚悟でヨーロッパに学ぶ留学生を送ったりしつつ坂の上の雲を目指してみたら実は坂の上の暗雲だったりして、八紘一宇などと夜郎自大なことを言ってたら太平洋戦争に敗れ、産業復興と技術導入(真似とも言う)を図ってOh! モーレツに働いてみたら存外にうまく行き、世界第二位のGDPを達成して「我が国はものづくりが得意なのだ。エッヘン」などと威張っているうちに、あっという間に他の国々も伸びてきて、更年期の中年の不定愁訴みたいな状態に陥り、今に至っている。

 おれはどうも気になるんだが、よく「海外では〜」という言い回しが使われる。島国ニッポンであるからして、文字通りに捉えれば「海外」とは日本以外のすべての国を指すはずなんだが、たいがいは中国もインドも含まない。インドネシアパキスタンもブラジルもナイジェリアも含まない。わしらが「海外では」というときには言外のうちに欧米の先進国を意味している。

 おれの霊感では、どうやら「海外」に含める国は、なんとなくのイメージで「自分たちより進んでいるか、少なくとも同等で、見習うべきところの多い国々」であるようだ。ずばっと言うと、それが欧米の先進国だ。あるいは、黒船以来の呪縛かもしれない。

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 中国からは、聖徳太子様の昔より非常に多くのことを学んできた。というか、ありていに言うと、中国の文化表現や技術はいつも我が国のコピー元であった。しかし、いつの頃からか、見下すような視線になり、しこうして「海外」には含めなくなった。インドからは中国経由でヒンドゥの神々をいろいろいただいたり(大日如来も弁天様も帝釈様もヒンドゥの神様である)、仏教の経典の多くがインド発のものなのだが、「♪インド人のさーるまーた、ねっとねっとするよー」の歌に代表されるように(しないか)、少しばかり見下しているところがある(一方で、畏怖もある)。

 今や、中国もインドも、日本より先を行っている部分が多いのだが、「海外では〜」には含まない。

 安易に欧米だけを指して「海外では〜」と語る人が、同じ口で「グローバル」などと言っているのを聞くと、なーにを言うとるのだこのバカタレが、と思うのだ。